35640 返信 Re:朝鮮併合;1910年 URL 指環 2005/06/23 04:37
烏龍茶さん、ちょっと横レス失礼します。

 日韓併合、と言うより韓国「併合」と言った方が正しいと思うのですが、1910年の韓国併合に関する条約(韓国併合条約)は1905年の第二次日韓協約(いわゆる乙巳保護条約)を前提として締結されたものなので、第二次日韓協約が無効なら韓国併合条約もまた無効となるという理解で間違いはないようです。
 また、国家に対する強制によって締結された条約は有効ですが、国家の代表者個人に対する強制によって締結された条約は国際法上無効となるというのも、その通りです。当時の国際法学者もそう述べています。
 ただ、問題はその先にあるわけで、第二次日韓協約締結時の強制が国家に対するものだったのか、国家の代表者個人に対するものだったのかが、研究者の間で論争になっているようです。
 私自身は、この問題をそれほど深く勉強したわけではないのですが、第二次日韓協約締結時の強制が国家に対するものではなく国家の代表者個人に対するものであったと言い切ってしまうのはやや無理があり、韓国「併合」は形式的には有効であったと一応言えるのではないかと現在のところは考えています。従って、この部分では烏龍茶さんとは見解を異にするかも知れません。

 但し、(ここからが最も重要なのですが)仮に韓国「併合」が形式的に有効だったとしても、それが正当であったかどうかは別問題です。朝鮮民族をまるごと支配し収奪するという愚劣な行為は、当時の国際法上の形式的適法性によっては少しも正当化できないと考えます。
 この点で、むにゅう!さんの

>侵略? 併合はきちんとした国際間の手続きを踏んだ正当な行為ですよ。

などという見解は言語道断だと思うわけです。国際間の手続きを踏んだ、だから韓国「併合」は侵略ではなく正当な行為だった、ということにはならないのです。

 韓国「併合」が形式上有効だったとする見解の海野福寿氏も『韓国併合』(岩波新書)の「あとがき」で次のように述べています(p244〜245)。

ーーーーーーーーーーーーーーーー【引用開始】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 しかし、にわか勉強のわたしがたどりついた結論は、共和国の歴史学者の主張とはやや異なる。韓国併合は形式的適法性を有していた、つまり国際法上合法であり、日本の朝鮮支配は国際的に承認された植民地である、という平凡な見解である。だが誤解しないでほしい。合法であることは、日本の韓国併合や植民地支配が正当であることをいささかも意味しない。当時、帝国主義諸国は、紛争解決手段としての戦争や他民族支配を正当視していた。彼らの申し合わせの表現である国際法・国際慣習に照らして、適法であるというにすぎない。日本はその適法の糸をたぐって、国際的干渉を回避しながら韓国を侵略し、朝鮮民族を支配し、「朝鮮の人民の奴隷状態」(カイロ宣言)をつくりだしたのである。わたしたちにとって考えるべき問題の本質は、併合にいたる過程の合法性如何ではなく、隣国にたいする日本と日本人の道義性の問題ではないか、と思う。

ーーーーーーーーーーーーーーーー【引用終了】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 また、藤永壯氏は、水野直樹・藤永壯・駒込武編『日本の植民地支配―肯定・賛美論を検証する』(岩波ブックレット)の中で次のように述べています(p15)。

ーーーーーーーーーーーーーーーー【引用開始】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ただし「併合」無効論に反対する立場であっても、それはあくまでも「不法」と断定するのは難しいというレベルの議論であり、日本政府の見解のように「法的に有効」であることを積極的に論証しようとするものではない。第二次日韓協約の強引な締結過程やその後の反日義兵闘争の高揚を見れば、植民地化が朝鮮民族の総意に反して強行されたことは明白である。 (中略)
 日本の朝鮮植民地支配が「不法」であったかどうかの見解は分かれるものの、それが「不当」なものであったことについて、論者の見解は一致している。「併合」条約が「法的に有効」であったという論理をたてに植民地支配の清算を拒み続けるならば、それは隣人とのよりよい関係構築を妨げるだけであろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーー【引用終了】ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー