35730 返信 お詫びと訂正 Re:釣魚台列島は台湾の属島であり、中国の領土である URL 森永和彦 2005/06/27 00:12
"台湾省台北県" ではなく "台湾省宜蘭県" でした.


> 釣魚台列島は台湾の属島であり、中国の領土である。行政上は台湾省台北県に属する。したがって、中国人が釣魚台列島に上陸することは当然であり、日本政府がこれを処罰する権利はない。日本政府は保釣戦士をただちに釈放せよ。
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> 日本は、1895年にこれを「無主地先占」によって領土としたと述べているが、釣魚台列島は無主地ではないので無効である。
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> 書物の中に初めて釣魚台の名が登場したのは、15世紀初め(明の永楽元年、1403年)に刊行された『順風相送』で、このことからも同列島を最初に発見し命名、使用したのが中国人であることがわかるだろう。
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> また明の嘉靖35(1556)年に鄭舜功が著した『日本一鑑』の中では、「釣魚台は小東の小嶼なり」と明記されている。「小東」が台湾を指すことは付図で明らかであり、これによって釣魚台列島が台湾に属する島嶼であることがさらにはっきりと証明される。明清両朝で計23名の冊封使が琉球を訪れているが、このうち清の汪楫は康煕22(1683)年、『使琉球雑録』の中で、釣魚台東南の海域は「中外之界」、つまり中国と外国の境界である、とはっきり指摘している。また同治2(1863)年、湖北巡撫により刊行された『皇朝中外一統輿図』においても、釣魚台は明らかに中国の版図に含まれている。
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> 明の嘉靖年間、中国の南東沿海では倭寇の被害が甚大であった。嘉靖41(1562)年、明の倭寇防衛の最高統帥、胡宗憲が『籌海図編』の「沿海山沙図」の中に釣魚台列島を加え、同列島が初めて正式に中国の南東海域の海防区域に組み込まれた。さらに清の康熈年間になると、台湾水軍の巡視ルートに釣魚台が含まれ『続修台湾府志』(乾隆29年、1764年)にも記載されており、釣魚台列島が中国の固有の領土であるという最も直接的かつ有力な証拠である。
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> このように、釣魚台列島は明らかに中国の領土であり、台湾の属島であったから、日本の「無主地先占」は無効である。
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> さらに、日本の「無主地先占」は、閣議で極秘に行われ、国際的に公表されていないのであるから、国際法上の要件をまったく満たしていない。
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> 釣魚台列島が日本の領土となったのは、極秘に行われた違法・無効の「無主地先占」によってではなく、日帝が台湾を強奪した下関条約によってである。
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> 1945年、日帝の敗戦により、台湾は祖国中国に光復した。よって、それ以後、釣魚台列島が中国の領土であることは明白である。
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> しかし、「中華民国」を自称する売国奴蒋介石一味は、1951年のサンフランシスコ講和会議において、おそらく日本政府と裏取引をして、釣魚台列島を放棄する密約をしたらしい。そのため、サンフランシスコ条約においては、日本が放棄した「台湾・澎湖」に釣魚台列島が含まれなかった。また、日本と「中華民国」の間で結ばれた1951年「条約」においても同様である。
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> 中華人民共和国は、研究不足のゆえか、売国奴蒋介石一味が釣魚台列島を放棄したことに気付かなかったらしい。しかし沖縄返還が問題になると、中華人民共和国も事態に気付き、釣魚台列島が中国領であると主張しはじめた。また中国台湾金馬地区人民や、中国台湾金馬地区出身の在米留学生なども「保釣運動」を開始した。「中華民国」一派も、人民の怒りの前で売国姿勢を維持することができず、やむなく日本政府に抗議しはじめた。
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> 釣魚台列島が中国領土である歴史的経緯から言っても、中国が対日戦勝国であることから言っても、日本政府が釣魚台列島を中国に返還すべきであることは明白である。
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> また、「『尖閣諸島』は日本の領土である」とほざく日本人岩里政男とその支持者は、ただちに日本に帰れ。中華台北当局は、岩里政男を売国罪で起訴すべきである。