35763 返信 Re:単一民族論 URL タラリ 2005/06/29 17:22
小林さんへ

> 私の単一民族論は、国民国家以前の話なのです。
>
> 卑弥呼や古墳時代に部族間に戦争もあったかもしれませんが、戦争によらず話し合いで統一が進んだのは、単一民族だったからだという意味です。

 日本の領域において、国民国家以前の話として日本民族と対抗できるだけの人口を有し、文化的にも対抗できる民族はいませんでした。そのために辺境の民族(クマソ、アイヌ、沖縄などのこと)は武力で駆逐され、あるいは征服、同化されました。駆逐、征服が話し合いでされたという話は聞いたことがありません。日本民族は幸いに征服されなかったが、辺境の民族が征服されてその独自性をまっとうできなかった歴史と見ることができます。

> 西洋、中国、中央アジアで異民族間の皆殺し戦争がたびたび起こったのに比べて日本では平和だったのは、単一民族だったからだと思います。

皆殺し戦争がたびたび起こったというのは誤りです。国家が消失するような戦争は古代においてたびたび起こっていますが、征服国家はその国の国民を奴隷化するのが通例で皆殺しを図ったことは希でしょう。皆殺し戦争に近いのはモンゴルの例でしょう。砂漠のオアシス都市国家を徹底的に破壊しつくし、特に水路を破壊したことで農業が出来なくなり、国家と文化が消滅しています。住民は新たな征服のためにモンゴル軍の兵士にさせられたといいます。結果は皆殺しに近いものがありますが、皆殺し自体を目的としたものではなく、新たな征服の手段としてです。

> 単一民族だったということは何の自慢にもならないとタラリさんは言いますが、これに私は反対しています。
> 単一民族というのは凄い自慢できることです。
> それは平和な社会だったということだからです。
> タラリさんは日本が平和だったと言うことを自慢に思わないのですか?

単一民族だから平和だ、ということはありません。
1.西洋諸国においても、現在の視点からは同一民族で出来ている国家の中で、あるいは同一民族が作っている国家同士の戦いは持続的に起こっています。

2.中国においても現在の視点で見て同じ漢民族同士の戦いにおいて城内の人間を皆殺しにする戦いが何回も起きています。

3.また、日本は「単一民族」であるにも関わらず、14世紀から16世紀にかけて長い戦争の時代が続いています。

ですから、単一民族だから平和であったという事実はありません。

> 江戸城の無血開城は日本ならではの自慢できることではないでしょうか?

江戸城の無血開城だけとらえて平和だった、と言ってもしょうがありません。無血開城は幕府がすでに「大政奉還」を明らかにしたあとのことであり、新政権にどれくらい、徳川家と大名の勢力を温存するかの争いに過ぎません。幕末においては外国勢力に対抗する必要からする、国の改革内容について幕府方、朝廷方の双方において明確な対立軸がなかったから、幕府も戦う必然性がなかったのです。戦いが深刻にならなかったのは、幕府が大名を支配する力を失い、当事者能力を失って政権を放りだしたからです。

> タラリさんは私の平和民族日本と言う主張に賛成できませんか?

小林さんの主張は論拠がありません。床屋政談くらいの歴史談義にすぎません。

たとえば、朝鮮においては日本のように内乱が続いた歴史がありません。
また、朝鮮は他の国を武力で征服したり、植民地化した歴史がありません。
軍人や兵士、武士を称揚する文化、伝統はなく、彼らは一段低いものと見られています。儒教を守り、家庭や王朝を支える文人たることが称揚される平和な文化です。

これに対して日本は平安末期から長い内乱の時期が断続し、武士の生き方が称揚され、武士階級が支配階級、貴族階級であり、その生き方は庶民までが生き方の基本として学ぶのが文化的伝統となっています。また、明治期になると十年と開けずに朝鮮・中国などを侵略し続けました。

武士道の精神が軍隊に引き継がれ、世界的に見ても勇敢無比の敢闘精神がたたえられました。昭和には軍人が事実上、首相を自由に選べるようになり、ついには軍人首相が米英戦を起こしました。

このような実態に照らしてみますと、「平和日本」というのは全体を見わたした末の結論ではなく、ごく一部の事象から結論したお国自慢的、通俗的歴史解釈にすぎません。

> サヨクの人はあたかも、日本人が平和民族であってはこまるというような感じに見えます。

小林さんはあたかも、歴史的事実をねじ曲げてでもサヨク攻撃をしたいという非平和民族に見えます。