| 35785 | 返信 | Re:民族の本来の性格とは? | URL | 小林 哲夫 | 2005/07/01 08:38 | |
| タラリさん 武蔵の一住民さんへ お二人は私の言っていることが理解できないようなので、もう一度振り出しに戻って丁寧に説明します。 次のタラリさんの文章の問題点が解らない、ということです。 >『日本は・・・・おおむね平和であったと言えます。しかしながら、これは地理的環境を反映しているに過ぎません。平和だったということと、平和な民族(性)ということは分けて考えないといけません。(タラリさん)』 タラリさんは私の「日本史の平和」を読んで、「そんな平和は大したことではない、環境のせいに過ぎない」と否定的にしか理解できないのです。 そしてその平和だった歴史は、単なる結果的に平和だっただけで、民族性が平和だということでは無いから、本物ではない、ともう一度日本の平和の意味を否定しています。 つまり環境のせいで平和なのは単なる事実であってそれでは意味が無い。 民族性そのものが平和なのでなければだめだ、という価値観をもっています。 私はこの「民族の本来の性格」という考え方を批判しています。 ここで混同が起こるので人間の性格に例えてみます。 人には優しい性格の人と、喧嘩好きな人といます。 しかし生まれつき優しい人と喧嘩好きな人がいる、と考えてはいけません。 生まれながらに喧嘩好きな人間などいるはずがありません。 しかし優しい親や優しい環境の中で育って、喧嘩などしたことが無い人は、環境のせいで優しい性格になる、ということはあります。 タラリさんはこういう後天的な性格は意味が無い、と言っていることになります。 その人が環境が良かったに過ぎない、本来のもって生まれた性格(民族性)でないから、意味が無い、と言っています。 私は「生まれつき」などという概念を「民族」の違いに持ち込んではいけない、とタラリさんに警告しているのです。 環境によって出来た性格が良ければそれで充分なのに、何故環境のせいに過ぎないと蔑むのですか? 「平和だった」ということと「民族性が平和だ」ということを分けて考えるべきだとタラリさんは主張していますが、これは人種差別に繋がる恐ろしさがあります。 一方私は「平和だった」から「民族性が平和になった」と主張しています。 私の考える民族性は、環境と過去の歴史によって作られたものでそれ以外の「生まれつき」のようなものは考えていません。 それに対してタラリさんは、環境や過去の歴史は大したものではなくて、それ以外の「生まれ」が平和なのでなければ満足できないようです。 ここにタラリさんの人種差別的な危険な思想が潜んでいます。 日本の歴史を「単に平和だったにすぎない」などと軽視してはいけません。 平和だったその歴史こそ、現在の日本人の民族性を作り上げた貴重な過去なのです。 その平和な過去をどうしてタラリさんは尊重することが出来ないのでしょうか? |
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