| 35790 | 返信 | Re:Reさらに「労働について」 | URL | おっちゃん | 2005/07/01 12:57 | |
| > 「金を稼がなければ何も出来ない(控えめに言っても『出来る範囲』が非常にに制限される)」という社会を自明視してしまう/させられている、ということを再三指摘してまいりました。 それを資本と労働者との価値観の共有と言うのです。 何もできないから稼ぐのか、もっと贅沢がしたいから稼ぐのかどちらなのかの問題ですね。 この場合、「金を稼ぐ=生産・消費する」と置き換えることができます。 この豊かな国で「何も出来ない」はないでしょう。貧しい国の人たちから笑われてしまいますよ。 これからは「出来る範囲を制限する」ことこそが必要なのです。 >ネオリベ的な心理主義化の問題でも労働者のアントンプレナー化の問題でもそうですが、「一見自発的に」抑圧を強いられる事が今世紀と20世紀中葉までとの違いでして。 ネオリベを駆逐してもそれと同じ「価値」を標榜している労働者が残れば何にもならん。 21世紀の課題は上記です。 >田中荘にも書いたけど、個々人の責任と社会構造という異なる次元の混同。さらに参画の程度差を捨象している。 労働者は社会構造を担う主体なのです。個々人の責任なんて話にスリ換えて責任逃れをすることはできない時代になっています。 >犯罪にならない抜け道があったと記憶しています。さらに借金を返す事により「最低限の健康で文化的な生活が維持」出来ない借金は返す必要ないんですが。 ほら、すぐにそういう極論を持ち出す。 「借りた者には借金を返す責任がある」と言えば、自己破産レベルの話になりますか。 >そういうことを無視して「借金を返すのが当然」とだけ言う事は、結局は「法外な借金」が事実上正当化されてしまっている現状に棹差す事によって、負債者に無限責任を負わすことになってしまう。 だめですね。 世の中のほとんどの金銭貸借関係(住宅ローンなど)は「法外な金利」や「自己破産」とは縁のないところで貸す側と借りる側の「共通の利益」「価値観の共有」に支えられて普通に行われているのです。借りたほうも貸したほうも「借りてくれてありがとう」「貸してもらってたすかりました」ということですね。 制度とはそういうものです。 |
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