| 35798 | 返信 | Re:単一民族論 | URL | inti-sol | 2005/07/01 22:44 | |
| tpknさん 諸般の都合で、掲示板で議論を展開する余裕がなく、レスが遅れてしまいました。 > え? 琉球語ってのは奄美から与那国までの全言語を包摂した概念ですが…。八重山方言に対比させるなら首里方言ということになると思いますが、それにしたって純然たる八重山方言なんてものはないですよ。本島だけでも、通じないぐらい違う場合もあるのです。 ですから、そういう差異を含めて「純然たる琉球語」と申し上げています。「純然たる日本語」というときに、鹿児島と青森でまったく同一の言葉である、などとはだれも考えないし、どちらが純然たる日本語でどちらがそうでないか、などとも考えないでしょう。 > いえ、ですから、ある民族が圧倒的多数を占めているものを「単一民族国家」と言うんじゃないでしょうか。語の定義として。 そうでしょうか。私の見解は違います。「単一民族国家」なるものは現実には(ある程度以上の規模の国家には)存在しないと私は考えているのですが、単一民族国家幻想とでも言うべきものは確かに存在します。それは、決してある民族(日本の場合は大和民族)が圧倒的多数を占めているという事実を指すのではなく、その国(日本)がある民族(大和民族)だけの単一の国家であるべきだという願望を指しています。 具体的に言えば、たとえば日本の国籍を得る手続き、つまり帰化申請を行う際には、「日本風の名前」に改名することを強く求められます。「ある民族が圧倒的多数を占めている」というだけで「単一民族国家」なのだとすれば、別に1000人に1人くらい張さんや金さんやロドリゲスさんやサイモンさんという名字の日本人がいたって一向にかまわないはずです。しかし、実際にはそういう名字建前上許容されるようになったのはやっと1985年、国籍法の改正以降のことであり、しかも現在でもなお、「日本風の名前に」という非公然の指導はあるようです。 法務省は、これについて「民族意識の発露としてことさらに外国人的な呼称の氏に固執するということになると、帰化により日本国民とするにふさわしい者とはいえない」(稲葉威雄「帰化と戸籍上の処理」『民事月報』 1975年9月号)と称していました。つまり、日本民族に同化しない者は日本国民にふさわしくない、というわけです。これこそが「単一民族国家」幻想の神髄だと私は思います。 |
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