| 35802 | 返信 | Re:単一民族論 | URL | tpkn | 2005/07/02 02:14 | |
| inti-solさん > ですから、そういう差異を含めて「純然たる琉球語」と申し上げています。「純然たる日本語」というときに、鹿児島と青森でまったく同一の言葉である、などとはだれも考えないし、どちらが純然たる日本語でどちらがそうでないか、などとも考えないでしょう。 ますますよくわからないのですが…。であれば、琉球方言と本土方言は日本語の二大方言ということで、どちらも「純然たる日本語」ということでいいではないですか。「純然たる」とか「純粋な」というものを想定する限り、そうなりますよ。inti-solさんの説では、その二つをわける明確な基準は示されてません。 > そうでしょうか。私の見解は違います。「単一民族国家」なるものは現実には(ある程度以上の規模の国家には)存在しないと私は考えているのですが、単一民族国家幻想とでも言うべきものは確かに存在します。それは、決してある民族(日本の場合は大和民族)が圧倒的多数を占めているという事実を指すのではなく、その国(日本)がある民族(大和民族)だけの単一の国家であるべきだという願望を指しています。 いま現在コバテシ先生が展開しているような論もその一種かと思いますが、「単一民族国家幻想」と、日本が「単一民族国家である」ことは、微妙に違います。前者を批判するのに、後者(事実に関する部分)を否定してしまうのが、サヨクの悪いクセでしょう。これは、ジェンダーフリーを唱えるフェミニストが、性差別があることを理由に性差そのものの存在を否定してしまうのと似ています。 > 法務省は、これについて「民族意識の発露としてことさらに外国人的な呼称の氏に固執するということになると、帰化により日本国民とするにふさわしい者とはいえない」(稲葉威雄「帰化と戸籍上の処理」『民事月報』 1975年9月号)と称していました。つまり、日本民族に同化しない者は日本国民にふさわしくない、というわけです。これこそが「単一民族国家」幻想の神髄だと私は思います。 であれば、日本人はそういったものから脱却しつつあるのだ、という見解になるかと思いますが、現実にはそうではないでしょう。日本人は、実際には名前よりももっと別な側面で異民族を排除しようとする傾向があります(たとえ名前を日本風にしたとしても、白人や黒人は、回りの日本人から同民族と見られることは、少なくともその人の世代においてはありえません)。帰化申請の名前の問題は「単一民族幻想」というよりは、国家主義のひとつの発露と見るべきでしょうね。 あと、横レスですが、山さんの投稿を興味深く読んでおります。小泉保の『縄文語の発見』(青土社)は、おもしろかったですよ(って、すでにチェックされているでしょうが…)。 |
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