| 35829 | 返信 | 徴兵制は日本の伝統には無い | URL | 小林 哲夫 | 2005/07/03 09:46 | |
| 工藤猛さんは軍備必要論者だということは知っていますが、徴兵制度についてはどういう考えか、知りたいと思います。 日本人は集団主義で、権威に弱く、世間に気を使って生きていると思われていますので、黒船来航で日本も強兵が必要な事態になれば、「徴兵制は当然」と納得したものと信じている人が多いかもしれません。 徴兵制は日本人には受け入れられ易い制度だと思われていると推測します。 しかし1873年に徴兵令が布告された時に日本全国で反対の一揆が勃発したことを知っている人は少ないと思います。 徴兵という制度は、日本で定着したことは無く、これは歴史上殆ど始めて実施されたものだ、ということもあまり知られていません。 日本の歴史の中で徴兵制があったのは、白村江の戦で大敗して、唐の侵略のおそれを感じて、律令国家を大急ぎで作り上げた時の一時期だけです(671年〜792年)が、その軍団制も上手く機能せず間もなく廃止されてしまい、以後この時まで実施されたことはありませんでした。 今度の憲法論議では、武装必要論者の中には、その際は徴兵制も同時に必要と思っている人が多いように見受けます。 しかし徴兵制は日本文化の根幹に抵触するもので、日本文化に相応しくない制度だということを理解して欲しいと思います。 日本文化の根幹と言うのは、人の考えを否定しつくすことはしない原則です。 村社会での最大限の制裁は「村八分」であって、それは「あと二分だけ」は残しておくという原則です。 日本の決裁の原則は「全員一致であって、多数決ではない」のもこの原則のためです。 一人でも反対が残っている場合は、その一人の人格を尊重し、その人を説得することに全力投球する原則です。 「集団主義」とか「世間を気にする」とか言うことは全て、全員一致を得るための方法ですが、その努力にも関わらず少数反対意見が残る場合は、その少数意見の人は何らかの形で黙認される原則がありました。 さて侵略に対する防衛のための軍備は、国民全体の存亡に関わることだから、国民全体が戦うのが当然だと思いがちですが、この考えは短絡的です。 侵略を受けそうな事態と言っても、そこには必ず妥協とか屈服と言う選択の余地が残されています。 「戦うか?」「妥協するか?」の選択は、国民一人ひとりの判断することであって、この判断に何人も介入できないものです。 戦いたい人が集まって戦うのは構いませんが、戦いたくない人を巻き込んで戦うべきことではありません。 戦いたくない人に戦うことを強制するのは、最悪の暴力だからです。 「自衛のために戦うか?」「戦わないか?」という選択は、人間の全存在を掛けた選択であって、何人もこれを強制してはいけないことです。 これこそ究極の人権であり、人間の尊厳の問題であって、この権利は日本歴史では概ね尊重されてきたのに明治の西洋化のときに間違って無視したのが、今次の戦争の間違いです。 兵士の命を、赤紙一枚の価値にしか見ないような退廃的な軍隊になったのは、この日本文化に反した徴兵制を採用したために起こった悲劇です。 徴兵制というのは日本文化の伝統では考えられないものだと言うことを是非理解して欲しいと思います。 明治時代にこの伝統を無視したのは、西洋を絶対視て模倣したことの大きな誤りの一つだと考えます。 |
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