| 35947 | 返信 | Re:戦争犯罪の責任 | URL | 小林 哲夫 | 2005/07/10 22:46 | |
| タラリさんには私の責任論を解っていただき嬉しく思います。 Inti-solさん、おっちゃんの議論についてです。 お二人の議論を一般市民虐殺などの戦争犯罪の責任の問題として読んでおります。 おっちゃんが犯罪兵士個人の資質の問題という表現だったので、ちょっと違和感を持ちましたが、犯人に一義的責任がある、という意味でしたら、私もおっちゃんに賛成です。 Inti-solさんは、個人の責任よりは「国際法教育をすべき人がしなかった責任」の方が重大だという論理でおっちゃんを批判しているとしたら、inti-solさんにあまり賛成できません。 議論を整理しますと、犯罪者個人の責任は第一義に問題だが、それだけで済ませてはいけない。 Inti-solさんの指摘する個別の犯罪の背景としての教育や戦略の問題(私の言葉では文化)はその次に重要だと思います。 Inti-solさんがこの問題を追っかけて、「教育総監部」までたどり着いたことを私は評価しています。 因みに私はinti-solさんの考えに反対ではありません。inti-solさんがいうような責任も追及する必要があると思っています。 しかし何回も書きますが、ここで満足してしまっているところが、なんとも物足りないのです。 もっともっと問題意識をもって、inti-solさんの考えを深化して欲しいと思います。 責任と言うことと成れば勿論「教育総監部」という組織の名前を挙げて終わりに出来る問題ではありません。 その長官の誰をinti-solさんは責任者として訴追するのか?その刑罰はどの程度であるべきだったか?その量刑に対して、実行犯はどの程度の量刑であるべきだったのか?ということが当然頭に無ければ空論に終わるのです。 個人名を挙げるとして、当時の長官一人でよいのですか?部員の共同責任は無いのですか?前任者には責任は無いのですか?どこで線を引くのか?というようなことは考えないのですか? 「教育総監部」の責任まで書いた人を私は知りませんから、この考えを世論に認知させるのはもう実質上不可能です。 となるとそもそもinti-solさんは何のために「責任」を追及しているのですか? 私は今後二度と同じことが起こさないために、はっきりしておく必要があると思うのですが、その目的から考えると個人名を挙げて終わりにするわけにはいかないのです。 inti-solさんが名前を挙げる人の人生を想像してみて下さい。 そうするとその人は我々と何ら変わったところの無い生活を送っていたと想像できます。 国際法の教育をしっかりやっていなかったとしたら、それはそういう周囲の雰囲気に呑まれたからです。 だからそういう地位に有った人の責任というものを否定は出来ませんが、それで終わりにはできません。 この時に教育をしようと思いつかなかったのは、その時の日本文化の状況がそういう状態だったからです。 だから再び過ちを繰り返さないためには、その文化についての分析が不可欠だ、というのが私の言いたいことです。 ここまではタラリさんにも賛成いただけますか? |
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