| 35952 | 返信 | Re:Reさらに「労働について」 | URL | おっちゃん | 2005/07/11 03:32 | |
| inti-solさん、 >とのことで、つまり徴発(という名の略奪)は個人の資質の問題ではない、捕虜や民間人の虐待や殺害(幼児の虐殺を除き)も個人の資質の問題ではない、ということは、戦争犯罪の主要な部分は、それを行った者の個人の資質の問題ではない、ということを認めていただいたようなものです。私も、もちろん、個人の資質の問題がまったく無関係である、と主張するわけではありませんから。 あと残っている対立点は強姦と幼児虐殺の問題だけですか。 私は最初から「命令もなく(=命令によらず)」と限定しています。命令というのは一種の強制ですから、個人云々など関係ありません。命令した者(組織)に責任があるのは当然のことです。 >たとえば「平頂山事件」というものがあります。これは、1932年、「満洲国」で抗日義勇軍が日本人の経営する炭坑を襲撃したことに対する報復(より正確に言うなら、抗日義勇軍をかくまったことに対する報復)として、周囲の中国人集落合計約3000人を皆殺しにした事件です。 まさか参謀本部が直接そのような命令を出すはずはありませんから(あれば証言や資料が残っているはず)もしそういう事実があったとすれば戦場でおかしくなった司令官(上官)の口頭命令か何かでしょう。この場合は司令官の個人的資質の問題となります。 もちろんその司令官を任官した軍上層部や国家にも責任があります。その責任は当然一兵士の犯罪行為に対してもありますが、その司令官や兵士がそれをもって免罪されることはありえない。 >女性も子どもも、赤ん坊も皆殺しにされました。「見せしめ」という意味もあったでしょうし、赤ん坊はいつかは大人になり、兵士となって日本人に銃を向けるかもしれない、ということもあったでしょう。 >私は、勉強不足でこの平頂山事件について、日本軍内部で、子どもも含めて皆殺しにせよ、という命令があったのかどうかは知りません。 >しかし、もしも命令に子どもも含めて皆殺しにせよ、と明示されていなかったとしたら、これは個人の資質の問題になるのでしょうか。だとすると、この事件に出動した関東軍部隊の兵士全員に、「個人の資質の問題」があったということになります。 ナチスとは違いますから後者(将来の報復をおそれて)の発想はないと思います。 ファルージャ掃討作戦を敢行した米軍にもそのような発想はたぶんなかったでしょう。 場合によっては幼児虐殺に「命令」(あるいはそれに近いもの)が介在することがありうることは認めます。 >ここまで日本軍のことばかり問題にしてきましたが、たとえば米軍の東京大空襲などを考えてみましょう。爆撃の対象は市街地であり、軍事施設ではありませんでした。従ってそこにいたのは民間人であり、当然女性や子どももたくさんいる、ということは明白だったわけです。夜間空襲という攻撃方法の特質から、赤ん坊の姿を直接目で捉えていたわけではありませんけれど、赤ん坊もいることが分かり切っている市街地に焼夷弾の雨を振らせた行為は、個人の資質の問題でしょうか。 >私の父は学童疎開世代ですが、疎開先で米軍の戦闘機の機銃掃射に出くわしたことがあるそうです。この場合、米軍機の搭乗員は、眼下の子どもたちを視認しながら射撃をしたわけです。(低空飛行の戦闘機からなら、下にいるのが大人か子どもか程度の判別はつく可能性が高い)これは、戦闘機搭乗員の個人の資質の問題でしょうか。 前者はともかく後者(機銃掃射)は個人の資質の問題でしょう。 いずれにせよ(どのレベルの話にせよ)個人の資質が問題にならないとすれば「戦犯」などという概念自体があり得ないということになります。 |
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