35954 | 返信 | 平和民族日本 (9) | URL | 小林 哲夫 | 2005/07/11 08:40 | |
(1) 江戸時代は悲惨だったか? 農民搾取の実態 またこの敗戦史観では明治時代に入ってからの農民搾取の厳しさを見過ごす恐れがあります。 江戸時代の農民は「生かさぬよう、死なぬよう」に年貢を搾り取るのが、権力側の方針だったというのが我々の常識になっていますが、実際はどうだったでしょうか? 当時の年貢は、4公6民(つまり租税負担率40%)と言われていますが、実際はそれほど高く無かったという研究が出ています。 実際収穫高は課税台帳の建前よりかなり上回っていることが多く、これを考慮すると実質課税率は下がるという調査もあります。 養蚕などの米作以外の収入もあって、農民は意外に豊かな生活をしていたと私は想像しています。 私は、実質課税率は20%台ではなかったか、と素人考えをしていますが(要研究)、これなら現在のサラリーマンと大差ありません。 ところが明治集権国家の農民搾取はすさまじいもので、この時代に自作農が激減し、大地主が多数発生しました。 これはすべて明治政府の富国強兵策の犠牲だったのです。 江戸時代蔑視観 またこの江戸時代蔑視観では、江戸時代の平和主義の評価、と明治時代の侵略主義の行き過ぎを軽視することにつながります。 西洋が植民地主義で戦争と侵略に明け暮れていた17〜19世紀(江戸時代250年の間)、一切戦争を経験しなかった平和な日本は、文句なしに誇るべきものです。 鉄砲は火縄銃のままで進歩せず、橋は架けられず、道路は狭いまま、遠洋航海の出来る構造船は作られなかった、という江戸時代の不便さを、「遅れていた」と劣等感を持つ必要はありません。 幕末の旗本は平和ボケで戦争が出来なかったとか、戊辰戦争の時の幕府軍は兵士として使い物にならなかったとか、官僚制の制度疲労で政治は動かなかったとか、平和呆けを馬鹿にして描いた話を良く聞きますが、これも頭を切り替えて考えてほしいことの一つです。 平和ボケのどこが悪い!という気持ちです。 幕末の対外外交はそれなりにしっかりやれていた、と私は考えています。 平和ということを中心に考えれば、江戸時代ほど素晴らしい時代は無かった、という評価が出来るように、歴史観を入れ替えるべきと思います。 15年戦争に至る侵略思想の芽は、明治維新に有って、決して江戸時代には無かったものだということの再確認を提案します。 サヨクの民族蔑視、ナショナリズム警戒 このサヨク史観は、江戸時代を否定するだけで無く、日本的なものはすべて「悪」とする偏ったものになりがちです。 これは歴史の事実を見る目を曇らせるとともに、日本人の自信喪失、西洋に対する卑屈な劣等感を招く原因になります。 日本文化を忘れて、日本人が如何なる思想を築けるでしょうか? 江戸時代を正当に見ることが出来ない左翼を見ると、本当に悲しくなります。 戦前のナショナリズムに少しは問題があったかもしれませんが、だからと言ってナショナリズムの匂いのするものは全て排斥するというのでは、これこそ「熱さに懲りてなますを吹く」のたぐいです。 戦前の右翼や国粋主義者が大和魂とか万世一系の天皇とか、忠君愛国とかと言ってわめいていた歴史がありますが、これは戦時体勢下の全体主義であって、ナショナリズムとは異なるものです。 これは全体主義とナショナリズムを混同したものです。 戦争が総力戦になったのは第一次大戦からですが、この時から戦争を戦うには、全体主義的な政策を取らざるを得なくなりました。 この時世界中の国が多かれ少なかれ、全体主義化していて、日本だけの問題ではないことに留意願います。 全体主義が原因で戦争になったのではなくて、戦争になったから全体主義になったのです。 もちろんナショナリズムの行き過ぎは問題ですが、危険だからと言って、この問題に目をつぶってはいけません。 私は「ナショナリズム」を軽視して、今後の世界を語ることは出来ないと考えます。 |
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