35989 返信 岳飛と秦檜 URL 小林 哲夫 2005/07/13 10:20
タラリさんと朝鮮平和民族論で一致できてすごく嬉しい気持ちです。
Hideさんには私の江戸時代論を応援していただき、有難うございます。

それでは私の平和中心史観を中国史に当てはめて説明してみますので、ご意見を下さい。
平和を中心に歴史を見るということは、殆ど逆説ばかりとなることに留意下さい。

12世紀の中国(南宋)は北部を占領した「金」と戦わないために、和睦料として毎年莫大な貢物をしていました。
この時の和睦主義政権の中心が秦檜で、これに対抗して民衆の支持が絶大だった主戦論者が岳飛でした。
岳飛は秦檜によって謀殺されたのですが、以後中国民衆から崇拝され、現代中国でも人気のある英雄となっています。

しかしながら南宋という時代を現代日本から見て見ますと、素晴らしい繁栄の時代であって、芸術や文化が花開きました。
ちょうど日本の江戸時代のような繁栄振りでした。
この時代の青磁の美しさ、絵画の素晴らしさは中国史の中で輝いています。
民衆の豊かな生活の様子は、「清明上河図」という絵巻物に表現されていますので是非見て欲しいものです。(日本で解説書がある)

つまり異民族に対して屈辱的な和睦をして、莫大な貢物をしたにもかかわらず、時代全体としては、経済的にも中国史最高の繁栄を成し遂げたと言うことです。
(屈辱的な米軍基地の存在の下での日本の繁栄を想起)
民族としての屈辱と言うことだけに目をつぶれば、あとは良いことだらけの時代でした。
中国人民にとっては、最高の極楽の時代だったかもしれません。
現代中国人はこの時代を岳飛という主戦論者の目でしか見られないところに私にとって残念なところがあります。

さてこういう目で中国の歴史を見ると、「元」とか「清」という時代が異なって見えてきます。

中国を漢民族の目で見れば、この二つの時代は異民族に支配された、屈辱の時代でした。
「元」の時代の民衆の生活の実際を私は想像できるだけの知識は無いのですが、「清」の時代の民衆の生活は少し想像できます。
北京の胡同地区や江南の町(蘇州や周庄など)から当時の民衆の生活を想像するとこれも日本の江戸に近い雰囲気を感じます。
当時の民衆の遊びや食べ物、年中行事、それを描いた絵を見ると平和で豊かな生活があったことがわかります。

つまり異民族に支配されるという屈辱を代償として、漢民族は平和と繁栄を獲得できていたと言うことです。

現代中国民衆の愛国心に逆らう考えではありますが、このような歴史認識の逆転を是非やって欲しいものだと願っています。

清の時代には日本と同じく鎖国を国是として、兵器も日本と同じく退歩した平和の歴史を中国も持っています。

こういう逆説的な目でアジアを見直して、戦争の中にどっぷりと浸かった、どうしようもない西洋文明を批判的に見る目を養おうではありませんか。