36005 返信 Re:平和民族日本(11) URL 武蔵の一住民 2005/07/14 19:33
まず、前の投稿で書き忘れていたことを。

> もう一つ、日本の「銀」の産出量(大森銀山)が世界の3分の一を占めていて、日本からの銀の流出で、欧州でインフレが起こったといわれています。
> 大森銀は当時の世界のブランド商品だったそうです。
> (こういう事実を知らない日本人が多いことを残念に思います。)

日本の銀は、主に中国に吸収されたのでは?
欧州のインフレは、アメリカ大陸からの銀の流入
のためでしょう。このような解説に、西洋中心
史観や西洋への劣等感が見えるのですが…

以下、気になった投稿について返信を…


> これこそ朝鮮が平和民族だという重要な証拠ではないでしょうか?

前にも述べましたが、平和民族だの反動民族だのといった民族に
対するレッテル張りは、森永様だけでお腹いっぱいでございます…
たとえ、「後天的なもの」であろうとも、です。


> つまり異民族に対して屈辱的な和睦をして、莫大な貢物をしたにもかかわらず、時代全体としては、経済的にも中国史最高の繁栄を成し遂げたと言うことです。

世界における中国の相対的地位という意味ならば、そうかも
しれませんが、その表現はやはり問題でしょう。まるで、
宋代が中国史上もっとも経済的に繁栄していた、と受け取れ
ますが…

> 12世紀の中国(南宋)は北部を占領した「金」と戦わないために、和睦料として毎年莫大な貢物をしていました。
> この時の和睦主義政権の中心が秦檜で、これに対抗して民衆の支持が絶大だった主戦論者が岳飛でした。
> 岳飛は秦檜によって謀殺されたのですが、以後中国民衆から崇拝され、現代中国でも人気のある英雄となっています。

観念的な知識階層には人気があったとはいえるでしょうが、
民衆からの支持が絶大だったかどうかは疑問なのでは?

> 現代中国人はこの時代を岳飛という主戦論者の目でしか見られないところに私にとって残念なところがあります。

そう断言するのも問題でしょうが、漢族ナショナリズムの
盛んな現代中国では、岳飛の人気は高くなるでしょうね。

ただ、以前の中華人民共和国は、多民族国家という建前
から、霍去病や岳飛のような「夷狄討伐」に活躍・熱心
だった歴史的人物はあまり取り上げていなかった、と
なにかの本で読んだことがあります。
まあ、経済成長と軍拡とで自信をもてば、事情も変わって
くるとは思いますが。

> つまり異民族に支配されるという屈辱を代償として、漢民族は平和と繁栄を獲得できていたと言うことです。
>
> 現代中国民衆の愛国心に逆らう考えではありますが、このような歴史認識の逆転を是非やって欲しいものだと願っています。

「異民族支配」との理由で、清代(歴代中国王朝の中では、ましな
ほうだった言えるかもしれません)を暗黒の時代とする認識が現代
中国で一般的であれば、そのような提言も意味はあるでしょうが…

> こういう逆説的な目でアジアを見直して、戦争の中にどっぷりと浸かった、どうしようもない西洋文明を批判的に見る目を養おうではありませんか。

これでは、西洋文明への劣等感の裏返しにすぎず、西洋中心史観を
克服したとはいえないのでは?


> 士農工商の分類を支配階級・不労階級の武士とそれ以外の産業従事者(農工商)の二つに集約して考えます。

武士はがんらい武芸を家業とする芸能人でしたから、その視点
からすると、江戸時代の武士が「不労階級」に見えるのかもしれ
ませんが、いっぽうで武士は、当初より在庁官人や荘官に任命
されるなどして、行政官的な役割もになっており、江戸時代の
武士も、よく言われるように、戦士ではなく行政官としてみる
べきでしょう。
現代の公務員を「不労階級」とは言わないように、武士も
「不労階級」と言うべきではないでしょう。

> 家老の家や名主の家、豪商の家を見て、普通の農民の家と比べて見ると、そこには貧富の差があまり大きくないように見えます。

こうなると、個人の感覚の違いになりますが、私なんかは、
国内を旅行していて、代々の名家の家屋の立派さと他の
家屋との懸隔とが印象に残ることが少なからずあります。

それはともかくとして、小林様の指摘されている江戸時代の
「豊かさ」については、おおむね妥当なところだとは思います。
もちろん、飢饉や身分差別などはありましたが、同時代の
他の地域と比較すると、「豊かな」地域に入る可能性は
高いでしょう(まあ、証明できる問題ではありませんが)。