| 36009 | 返信 | タラリ氏はどこまで幼稚なのか Re:戦争犯罪の責任 | URL | タンゴ | 2005/07/15 00:56 | |
| サル以下のタラリ氏、相変わらずいってることがムチャクチャですな(笑) > >マインドコントロール? > >そんな言葉が何かの犯罪の「責任」を問題にする場合に恣意的に使われるような世の中になってもいいのですか。 > >殺人罪で裁かれているオウムの実行犯はほとんど無罪放免になってしまいます。麻原の影響力から「自覚的に自由」であったやつなどひとりもいないでしょう。 > > 「命令によらなくても国家や軍の責任のほうが個人の責任より重い」というのがおっちゃんの主張であり、最大の争点です。 > > 命令や強制によるものは国家や軍の責任であると言い切りますと、個人が国家や軍に反対する自由が本来あることを無視し、個人の道徳的責任を不問にしてしまいます。 > > 命令や強制によらないものは個人の資質である、個人の責任であると言い切りますと、国家や軍が兵士に与え続けてきたイデオロギーの責任を無視してしまいます。 > > 個人は個人の責任を道徳的レベルまで立ち返って反省する必要があり、その反省に立って改めて国家の責任までを追及する必要があります。 > そうすることによってのみ戦争に対する有効な反対が可能となります。 こんなわけのわからないゴタクを並べたところで、 > 個人の責任が【法的に】問えるのは個人が集団・組織・国家の明らかな命令から、イデオロギー操作・マインドコントロールに至る操作手段から自覚的に自由であるときだけです。 などという意味不明な主張に対して何の根拠にもなっていないのです。 だいたいタラリ氏自身が「反戦平和」という名前の「イデオロギー操作」のトリコになっているわけで、世の中の人すべてが何らかの「イデオロギー操作」の影響に置かれているに決まっています。 個人の法的責任をそんなものでうやむやにされてしまっては困ります(笑)。 要はタラリ氏には個人の法的責任というレベルと自分が戦争反対のためにわめきたてたいことのレベルの違いが分かっていないということです。 > 決して難しいわけではありません。私も、願いや思い、想像力をとりわけ重視します。それは過去の戦争を直視し、侵略の反省をするときもっとも豊富でかつ痛切なものになります。 アホが「願いや思い、想像力」をいくらわめいたところで、そんなもので戦争がどうにかなるわけがありません。サル以下のタラリ氏には戦争の背景にある社会的構造などまったくわかっていないのです。個人の思いで戦争がなくなるなど、いまごろ高校生の作文でも0点ですね。自分でいっててよく恥ずかしくないなあ、コイツは。 |
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