| 36022 | 返信 | 平和民族日本(12) | URL | 小林 哲夫 | 2005/07/16 09:11 | |
西洋コンプレックスの克服のために日本に自信が持てるような考え方を書いて見ます。 (3) 世界の三大文明の一つ 西暦1800年の時点の世界を見渡して、百万都市は、ロンドン、北京、江戸の3都市だけでした。これが私の意味する三つの文明、即ち英国、中国、日本です。 パリが百万を超えるのは1850年頃で、当時のパリは今の東南アジアのスラムのような汚い町だったと想像します。 当時の江戸の生活の実際が詳細に解ってきて、江戸が如何に文明度の高い都市であったかが、知られて来ています。 その江戸の町の公共衛生(エコシステム)、治安の良さなどを総合すると、三都市の内で最も文明度の高い都市だった、と誇れるものだったと考えます。 最近江戸時代のエコロジー社会が注目を集めていますが、肥やしの循環(農村と都市の補完関係)、里山の利用の仕方などは今見ても素晴らしいものがあります。 大岡越前などでよく見る町奉行は、実際は物凄い少人数で江戸百万の治安を守っていたようです。それは犯罪数が少なかったからこそ出来たことでもあります。 識字率、寺子屋教育の充実も世界的に誇れるものでした。 日本人は権利意識が低いなどと自虐的な言葉を良く聞きますが、百姓一揆についても見直しが進んでいます。 一揆は決して不満の爆発や暴動ではなくて、秩序だった権利の主張であった、という見方が主流になってきました。 1800年頃の中国や日本には、西洋人にとって魅力ある商品が沢山あって(茶、陶磁器、絹織物、などなど)、これをヨーロッパに持ち帰って売ると莫大な利益が期待できた時代でした。 この時西洋人はアジアに植民地を作ったと思われていますが、これは輸入取引の拠点を作っただけで、アジアを支配するためのものではありませんでした。 日本も中国も経済的には自足していて、西洋から輸入したいものは有りませんでした。 つまり魅力的な商品は現在と逆に、アジアの方にあったのです。 つまり文明はアジアにあった、ということです。 この1800年の時に東高西低であった文明が、1840年のアヘン戦争で逆転することとなります。 アヘン戦争以後100年間西洋がアジアで暴れまくるのですが、これは単に野蛮な軍事力でアジアを切り従えただけでした。 アジアの近代史を総括すれば、野蛮な西洋がアジアの文明を押しつぶした歴史とまとめることが出来ます。 こんな西洋を恐れたり、崇拝したりするのは間違いです。 日本文明は西洋に対して劣等感を持たなければならないような情けないものではありません。 |
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