36033 | 返信 | Re:平和民族日本(12) | URL | 武蔵の一住民 | 2005/07/17 16:00 | |
小林様というか、一般的な用法にしたがって、「西洋」という 言葉をもちいてきましたが、私の考えでは、「西洋」には西 アジアも含まれるので、今後は欧州または西欧という言葉を もちいることにします。 > 武蔵の一住民さんのモチーフはどこにはあるかはまだ解りませんが、私の場合は「戦争を無くすこと」から考えて、西洋劣等感を問題に しています。 私の場合は、現代の生活文化への疑問、とくに男性社会人に 要求される正装(というと、広い意味にもなりますが)への 素朴な疑問が発端です。 日本に限らず、蒸し暑い地域においても、なぜ一律に職場なり 公的な場で、ネクタイを着用…といった服装を要求されるのか、 疑問というよりは不愉快でならないわけですが。 これは、西欧文化の悪しき受容の代表例で、それにたいして 疑問の声が大きくなるということもなく、せいぜいがクール ビズなる運動でとどまってしまっており、西欧文化やその価値 規範の少なからぬ部分が、たいして抵抗も批判もなく、日本社会 にすっかり浸透しているのだなあ、と嘆息せざるをえません。 他には、当初にはそれなりの抵抗もあったにせよ、獣肉食の 普及なんかもありますが、こうした状況を変えるには、西欧 への劣等感を克服する必要があるのではないか、というのが 私のそもそもの動機です。 > >平和民族だの反動民族だのといった民族に対するレッテル張りは、森永様だけでお腹いっぱいでございます… > > 西洋コンプレックスの問題は、民族、異文化の問題だと思いますが・・・・。 民族に対するレッテル張りにはうんざりです、と申し上げている だけですが… > 私は西洋を相対化する試みのつもりなのですが、どうして「裏返しに過ぎない」と感ずるのか、もう少し教えて下さい。 鎖国の件や銀とインフレの話にうかがわれるように、 視点が日本対西欧という枠組みの中にとどまりがちな ところと(中国の話もありますが)、 > この1800年の時に東高西低であった文明が、1840年のアヘン戦争で逆転することとなります。 > アヘン戦争以後100年間西洋がアジアで暴れまくるのですが、これは単に野蛮な軍事力でアジアを切り従えただけでした。 というように、根拠のない西欧蔑視感が述べられているからです。 これでは、アジアは未開で停滞した社会だという西欧側の偏見を ひっくり返してみただけにすぎないでしょう。 文化面で東洋の中心地でありつづけたといってもよい中国の アヘン戦争以降の変容を考えれば(日本も同様ですが)、 「単に野蛮な軍事力でアジアを切り従えただけでした」など とはとても言えないでしょう。 これまでも、中国が北方の「蛮族」に征服されたことは しばしばありましたが、ほとんど例外なく、そうした 「蛮族」は中国文明を受容しましたし、中世までは、 やがて漢族に同化するのが普通でした。 これを、「蛮族」は未開の民であるからと説明する のは、「中華史観」の無批判な受容であり、危険なの ですが、中国文明が、そうした「蛮族」を取り込んで しまうような魅力の高いものであったのは否定でき ないでしょう。 これにたいして西欧は、部分的に中国文明を高く 評価したことはあっても、中国文明にとりこまれる ことはまったくなく、逆に、学問や生活文化など 多岐にわたって中国にかなりの変容を強いることに なりました。 こうした歴史的経緯を考慮すると、たとえ西欧の 商品が中国市場で苦戦したとはいっても、それが 西欧にたいする中国の優越性を示すことにはなら ないでしょう。 西欧の軍事力は、「単に野蛮な」だけではなく、 その背景にある、工業生産力・科学技術・学問 の水準の高さに支えられているのであり、現代 世界が西欧基準になったのは、不都合な面もある とはいえ、その文化の魅力の高さに起因するところ 大というべきでしょう。 1800年から1840年までのたかだか40年で、東西の 文明が「逆転」したというわけではないでしょう。 > > 日本の銀は、主に中国に吸収されたのでは? > > 欧州のインフレは、アメリカ大陸からの銀の流入 > > この件典拠を教えていただけたら有難いのですが・・・・。 > 私の方は典拠を忘れましたので。 http://eurekajwh.hp.infoseek.co.jp/gaidansu/route/eur.html 「大航海時代」の項。わりと有名な話だと思ったのですが… もっとも最近では、アメリカ大陸からの銀の流入が欧州のインフレの 要因となったとの説は否定される傾向にあるようですが(人口増が 要因とされている)。 小林様の江戸時代論については、一揆への評価など、同意できる ところが多々あります。 |
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