36071 | 返信 | 反省について | URL | memo | 2005/07/21 01:37 | |
前回の投稿「日本軍の空襲」について、参考サイトを追記いたします。 http://andesfolklore.hp.infoseek.co.jp/intisol/la%20paz4.htm ** 反省について ** 尼崎脱線事故の報道に触れて、「反省」という行為について思ったことを書きたいと思います。 ** 事故の概要 この脱線は、4月25日9時3分宝塚発の宝塚(福知山)線上り快速列車が起こしました。ダイヤでは中山寺・川西池田・伊丹・尼崎(9時21分)と停車した後東西線に入り、京橋(9時39分)からは学研都市(片町)線に入って、10時15分に同志社前に到着する予定でした。7両の車両に、事故当時600人以上の乗客がいました。 そもそもこの車両は、207系統の中でもブレーキが甘いことで知られていたようです。運転士も、キャリア1年にも満たない新米でした。そして宝塚・尼崎間16分25秒というダイヤは、宝塚線上り快速の中でもこの列車だけという最速の設定でした。 列車は川西池田駅で短いオーバーランを起こし、続く伊丹駅では60m以上、車両にして3両分以上のオーバーランをして非常ブレーキで止まりました。引き返して客の乗降の後出発しましたが、定刻より1分半以上遅れてしまいました。 出発後運転士は車掌にオーバーランを「なかったことにしてほしい」と頼み、車掌は「なかったこと」にこそしなかったものの、距離を8mと報告しました。この後列車は遅れを取り戻すべく疾走し、尼崎の一つ手前の通過駅である塚口では1分遅れにまで回復しました。 ところがこの路線は1997年の東西線乗り入れ以降、尼崎駅の手前で急な右カーブから左カーブを通らなくてはならなくなっていました。右カーブの半径は300mで制限速度は70km。手前の直線の制限速度は120kmですから、50kmの減速が要求されます。 にもかかわらず、列車は塚口を過ぎてから時速126kmにまで加速しました。そしてカーブ手前30mまできていきなり急ブレーキをかけたため、多くの乗客が倒れこみました。 急ブレーキといっても、時速120kmですと30mは1秒に過ぎません。列車は時速100km以上でカーブに突っ込み、スリップで片輪走行した後転覆し、脱線しました。悪いことに脱線車両の目の前にはマンションが立ちはだかり、1両目はそこの地下駐車場に突入して潰れ、2両目はマンションの外壁に激突したところで3両目の追突を食らいました。4両目も派手に脱線し、結局死者107人、負傷者500人という、国内の鉄道事故としては1963年に死者161人を出した鶴見事故以来の惨事となりました。 なお、対向路線の「北近畿3号」の運転士は踏切脇の非常信号を見て非常ブレーキをかけ、指令局や事故車両の車掌に先んじて他の列車への緊急停止信号を発しました。この判断が無ければ、2重・3重の衝突が起きたかもしれません。 ** 日勤教育 事故の直接の原因は制限速度70kmのカーブに時速100km以上で突っ込んでしまったことですが、その背景として多くのメディアから指摘されたのが、定刻遅れやオーバーランをしてしまった運転士に対する、業務を外しての再教育制度「日勤教育」でした。繰り返し反省文を書かせる・罵声を浴びせる・掃除や草むしりをさせるといった内容で、もちろん給料も差し引かれます。期間は上司の裁量に委ねられ、1ヶ月以上になることも珍しくありませんでした。所属する労組によって期間が違うという声もありました。 2001年には日勤教育を受けた運転士が自殺してしまい、遺族がJR西日本の損害賠償を求めて提訴するということがありました。オーバーランの距離を過小報告した車掌は、妻との電話で理由を問われ「厳しいやん。高見君が処分を受けてしまう」と答えたそうです。 週刊現代7月23日号によると、JR西日本では事故の後も相変わらずの日勤教育を続けているようです。期間こそ原則1週間以内、最長22日以内に制限されましたが。 なおJR尼崎駅の場合、関西有数のターミナル駅でしかも地上交差があるため、わずかな遅れで信号が赤になり立ち往生してしまったり、逆に他の列車を止めてしまったり、乗客の乗り継ぎを失敗させてしまったりといったことが多く、このことも運転士へのプレッシャーになったようです。 ** 運転士の反省文 脱線車両の運転士も、車掌乗務を始めてから4年で3回の日勤教育を受けていました。その中でも最新の、唯一運転士として受けた日勤教育の内容を、文藝春秋7月号の記事「高見運転士『二十通の反省文』」が詳しく検証しています。 http://www.bunshun.co.jp/mag/bungeishunju/bungeishunju0507.htm 2004年6月8日、運転士になってまだ2週間の高見氏は、学研都市線下りの下狛駅で100mのオーバーランを起こしてしまいました。前の三山木駅で団体の子供達が乗車してきたために発車が遅れ、それを取り戻すためにブレーキを遅らせたためということです。結局6月9日から25日まで、延べ13日の日勤教育を受けさせられました。内容は19本のレポートが主で、草むしり等はなかったようです。以下、レポートの文から抜粋します。 > 自分はしっかりしているから大丈夫だという思いがありました。そういった心の隙が今回の事故を起こしてしまった要因でありましたので、今後は自山の石、他山の石をより活用するよう受け止め方を改めます。 (6/11 「自山の石、他山の石の今後の活用法について」) > 自分自身の一番弱いと感じる所は、精神的な面です。一人で乗務をし始めて二週間程しか、経過していない中で、乗務中に他の事を考えてしまったり、自分のことを過信したりしていました。そういった事を考えたり思ったりしている内に、仕事に対する甘さというのがでてきました。(略) > 最初の目標としては、停止位置の確保とします。通停確認後は停車する事に専念し、ブレーキを採る位置やブレーキ扱いに集中して他の事は考えません。ここに一番注意力を高め、絶対に停車させるんだという強い気持ちを持ちます。ブレーキ扱いはまだまだ未熟なので、車種や勾配、天候等を十分に考慮して、速度が早いと感じたら早めの追加ブレーキで停止位置の確保に努めます。 (6/22 「自分自身の弱い所、その克服の仕方」) > 区長面談が終わり、頑張っていかなければならないと改めて思いました。お客様の命をお預りして、仕事をする運転士として、自分はまだまだ未熟者と痛感しました。日勤教育中に自分自身の駄目な所に気付いてきましたが、新たに気付いた点もありました。基本動作、基本作業をしっかりしていると思っていましたが、大事な所で、できていないという事は単に真似事をしているだけと言われました。正にその通りだと思いました。そういったことをしてきていた自分をとても情けないと思いました。(略) > そして、区長から再乗務のチャンスを頂き、このチャンスを無駄にしないためにも、日勤教育中に学んだ事を全て出して、二度と事故を起こしません。報告は厳正な報告をして、虚偽の報告も二度しません。そしてこの気持ちを忘れずに乗務します。 (6/25 「区長面談が終わって、どう受け取ったか」) ** 反省のための自己肯定 このような反省文をどう見るかです。文藝春秋の記事では > 一連の「反省文」は、勤務の一環として書かされたものだから、高見運転士の純粋な内心の発露とはいえないのかもしれない。しかし、その内容は人の生命を預かる仕事として至極当然のものといえる。 > 京橋電車区だけでも1ヵ月に一人程の割合で日勤教育は実施されているというし、レポートの内容を見る限り「日勤教育」の恐怖やプレッシャーが高見運転士に重くのしかかっていたとは、どうしても考えられない。むしろ、この日勤教育で反省した通りに行動していれば、恐らく脱線事故は起きていなかった。 と、ある程度肯定的に捉えています。 私は逆なのです。 一口に反省と言いますが、少なくとも二十歳を過ぎた人間が、自分の欠点を改めていくというのは大変なことだと思います。人の欠点は長所と表裏のことが多いですし、そのどちらもが個々人の人生の中で培われてきたものですから、簡単にはなくなりません。自分から欠点が出てくるたびに痛みをこらえながら削り落としていくという、気力を要する作業が必要になります。 上のように自己否定的なことばかり考えさせていたら、その気力が出てこないのです。外からの力で欠点を削ったとしても、一時的なものに過ぎません。やりすぎると長所まで削ってしまいます。自己保存本能のある人間なら嫌がるのが当たり前です。 例えば「自分自身の一番弱いと感じる所は、精神的な面です」と書かせていますが、これはほとんど自分の全否定に近い文章です。ですが運転士に対する上司の所見を見ますと、 > ハツラツとした態度。4人程新入社員がいる中で上位に位置する(平成12年) > 事故を起こしたものの、取り組み姿勢についてはよい。指導教育後、持ち前の明るさで頑張っている(平成16年) 等と、明るい性格であったことが分かります。その裏面として「自分のことを過信したり」することがあったのでしょう。 「欠点も個性のうち」等と自分を全肯定してしまっては、ガキの逆切れにしかなりません。ですが欠点を改めるためにも、「この部分だけは誰に何と言われても絶対に譲れない」といった部分肯定をすることで、反省の痛みに耐えるだけの気力を奮い起こすことは意味があると思います。例えば、 ・私には自己を過信する弱点がある。だけど性格の明るさがあるので、歯を食いしばってここを乗り越えて、後輩を励まし育てられるようなよき先輩になろうと思う。 ・私はブレーキの扱いが未熟だ。だけど子供の頃から列車への憧れは誰にも負けないので、誰にも真似できない訓練をして誰にも負けない運転技術を身に付けたい。 ・私は乗務中に恋人のことを考えてしまうことがあった。だけど大好きな恋人を絶対に悲しませないためにも、乗務中は鬼となって運転に集中するつもりだ。 ・主われをあいす 主はつよければ われよわくとも おそれはあらじ 野暮を連ねてしまいましたが、要は個々人が自分に合った「だけど」を見つけ出すということです。深刻な失敗をしてしまった時や、強烈な非難を浴びている時は特にこのような作業が必要になると考えます。 ところが、文藝春秋の記事を見る限り「反省文」にこのような自己肯定は全く見られません。はじめ罵倒して後でフォローするのならまだ考えられますが、最終レポートにまで「自分をとても情けないと思いました」と書かせるなんていじめでしかありません。たとえ個々の非難が的を射ていたとしても、です。 JR西日本は6月19日の運行再開にあたって、現場のカーブの制限速度を70kmから60kmに落としていますが、これも無意味な自己否定でしかないと考えます。脱線車両は時速100km以上で急ブレーキをかけながら突っ込んだからこそ脱線したのです。高速道路を150kmで走った車が事故を起こしたからと言って、制限速度を100kmから90kmに下げたりするでしょうか。 無論強い圧力があったのでしょうし、JR西日本に反省すべき点が多々あったことも事実ですが、そんな時こそ、譲れない部分は譲らないでもらいたいのです。 なお、快速の宝塚・尼崎間を18分以上に伸ばしたことの方は順当な対応だったと思います。遅れが多発するようなダイヤは組む方が問題でしょう。 ** 戦争の反省 ここまで考えてきたことを、日本の過去の侵略戦争、特に日中戦争の反省に応用してみたいと思います。 もちろん、日勤教育と日中戦争ではあらゆる面で条件がかけ離れています。オーバーランで人は死にませんが、日中戦争では約千万もの中国軍民が犠牲になりました。日本が一方的に中国の地に兵を送り込んで負けたにもかかわらず、1円の賠償金も払っていません。ドイツが分断された上ポーランドにシュレジェンを割譲したのに比べ、日本が中国に取られた土地らしい土地もありません。日勤教育について「いじめ」と形容しましたが、戦後日本が中国や国際社会にいじめられたと解釈するのは極めて不適当です。 ですがそれを踏まえた上で、「中国や国際社会に何を言われてもここだけは譲れない」といった自己肯定の意味はあると考えます。逆に言うと「戦前の日本はあれもこれも悪かった」とか「日本人は人権意識が低い」とかの全否定は、有効な反省にならないのです。日本人の短所もその裏にある長所も歴史の中で培われてきたものであって、白紙にして一からやり直すわけにはいかないからです。 ドイツ人と日本人は違いますから、ドイツを見習ってもあまり意味はないでしょう。日本なりの「だけど」を見つけ、それを武器として再侵略の芽を摘み続けるということです。 その意味で、小林哲夫さんの連作「平和民族日本」は有用な論考でした。 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35541&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35569&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35586&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35598&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35619&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35635&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35806&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35873&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35954&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35969&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=36005&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=36022&range=1 私も、次以降の投稿で具体的に考えてみたいと思います。 ** 謝罪と賠償 謝罪や賠償に関しては、このような自己肯定のプロセスは必要ないと思います。素直に頭を下げて、自らの損でできる範囲の償いをすればいいでしょう。 JR西日本が事故当初「置き石」の可能性を強調したのは無責任な姿勢でしたし、不要な速度制限より被害者や遺族への賠償の方が重要です。日本政府も、釣魚島の近海に油田があるなら、むしろだからこそ中国の領有を認めたほうがいいと考えます。 「だけど」と前向きに反省することが許されない場合もあるでしょう。そういう人は死刑を受けることになります。 ** 余談 ** 北朝鮮の「日本米横流し」に関する議論を興味深く読みました。 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_thread?base=35804&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35911&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35912&range=1 http://otd2.jbbs.livedoor.jp/mondou/bbs_plain?base=35913&range=1 |
||||||
![]() |