36098 | 返信 | 平和民族の日清日露戦争(4) | URL | 小林 哲夫 | 2005/07/24 21:03 | |
日清戦争は戦う必要の無い戦争だったことを説明します。 世界史のゲームに参加することが目的の西洋の模倣に過ぎませんでした。 (2)日清戦争;1894年 開戦理由 日清戦争は「何のために戦ったのか」を知りたいと思い、受験参考書で日清戦争のページを調べたところ次のような戦争開始の経緯の記述がありました。 『東学党の乱の鎮圧のために朝鮮政府は清国に派兵を要請し、清国は軍隊を送った。日本はこれに対抗して直ちに出兵し、反乱は治まった。日本は日清両国で朝鮮の内政改革に当たることを清国に提案したが、清国はこれを拒否したので、日本政府は開戦を決意した。』 いろいろの本を捜しましたが、いずれも大同小異で、開戦について書かれているのは、殆どがこれだけです。 つまり「日本の提案を拒否されたので開戦しました」というのが、理由とか原因に関する説明のすべてです。 よく考えればこれは「開戦の口実」が書いてあるだけで、それもほとんど「一方的な言いがかりだった」と白状しているようなものです。 事実「いいがかり」を付けて開戦したのですから、真実を正直に書いてあるともいえます。 これで解ることは日清戦争の原因はすべて日本側が作ったものであり、全く一方的な戦争だったということです。 中国側には日本の挑発を受けて立つという要素以外に戦争の理由はなかったことは確かです。 中国側には戦争を起こして何かを獲得しようという要素は全く見当たりません。 日本人は高校時代に日清戦争についてこのように「戦争の口実」だけを習って、それで終わりにしていると言えます。 ここから「何故、何のために戦争をしたのか?」ということを考えることはほとんど不可能です。 だから日本人は、「何故日清戦争をしたのか?」ということについては一切考えないで済ませているということです。 何故戦ったのかは解らないが、とにかく勝って良かった戦争、と覚えこむのでしょうか? 「内政改革案を清国に拒否されたので、開戦した。」という説明で満足してしまう、日本人の知的好奇心の欠如には本当に情けなくなります。 当然のことですが、こんな説明は戦争の原因でも、理由でも、目的でもない、単なる「開戦の口実」に過ぎません。 別の見方をすれば、要するに、この戦争には理由も原因も目的も、歴史に残せるものは何も無かったということかもしれません。 日清戦争の目的 戦争には普通、何か目的があるはずです。 例えば満州事変の場合は、満州を植民地にすることが目的でした。 そういう意味での目的は、日清戦争の場合は、何だったのでしょうか? もし清国が侵略して来たので国土防衛のために戦ったのだとしたら、「自衛」という立派な目的が挙げられるのですが、この場合は明らかに侵略されたものではありません。 そうかと言って、清国を侵略しようという目的があったわけでもありません。 こういう意味での「戦争の目的」について書いた本を探したのですが、それがなかなか見つかりませんでした。 「何故戦争をしたのか?」「戦争の目的は何であったのか?」「その目的は達成できたのか?」「結局戦争をして良かったのか?」「戦争をすべきでなかったのか?」などということを検討した本は全くありません。 現代の日本の学者はこういう問題提起に殆ど関心を持っていないようです。 歴史学の意義は、過去を批判的に見て反省の資料とし、民族の経験として蓄積することにあると思いますが、戦争の「目的、何故、何のために」を考えない歴史にその役割は期待できません。 目的や理由が無いならないで、その「無いこと」ことを明らかにするのが歴史学ではないでしょうか? そういう研究が無いために、この時代については、その隙間を埋める意味で司馬史観という小説史観が横行して、「日清日露までの日本は良かったが、それ以後間違ってしまった。」などという世論が出来上がってしまいました。 |
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