36131 返信 グランサコネ通信05−17 URL 前田 朗 2005/07/27 16:51
2005年7月27日

(1)デコー委員

フランス政府推薦で選出されたMr.Decauxについてご質問をいただきました。フルネームは、Mr.Emmanuel Decauxです。経歴等は国連のウエッブサイトに出ているはずですが、記憶していません。フランスの委員は2002年まではルイ・ジョワネ委員でしたが、彼が引退後、デコー委員になりました。フランス推薦の副委員は、Mr.Michele Picardです。

(2)議題2、冒頭から紛糾

26日の人権小委員会は、午前中は人権委員会61会期の議長団・事務局との秘密会議で、NGOは入れません。午後は議題1の議事運営についての議論でしたが、手続き論をめぐる混乱が長引きました。さらに、国連改革の中で進んでいる人権委員会改革(人権理事会新設)問題との関係で人権小委員会のあり方をめぐる議論も出ていました。その後、午後5時45分からようやく議題2に入りましたが、冒頭の発言で紛糾しました。

3つのNGO(世界教育協会、世界市民協会、国際人道主義者倫理連合)のジョイント発言です。発言者はデヴィッド・リトマン。人権機関では有名人というか、名物というか、いつも物議をかもすおじさんです。とても背が高く、声はとても大きく、会場内をしばしば歩き回り、カバンから資料を出して「お店」を開き、とにかく目立つことなら何でもやる人です。

そして、発言はといえば、イスラムの文書には「ジハードの過激な観念には神の名における殺人とテロリズムが含まれる」「人類の敵との真の戦いが始まる」と書いてある、といった内容の連続で、「アラーの名における殺人」といったフレーズが飛び交います。以前から問題発言じゃないかとして、発言を中止されたりしていましたが、今回は特に顰蹙。

まず、サタ委員がリトマン発言をさえぎって、「特定の宗教を誹謗するような発言を人権小委員会で認めないという決定があるのを忘れないように」と釘を刺しました。「ポイント・オブ・オーダー」といって、委員(時には政府も)は、他人の発言の最中でも、議事進行に関する発言をすることができます。議長がリトマンさんの発言再開を許すと、リトマンさんは再開の冒頭に、「私は言論の自由を行使する」。その瞬間、ワルザジ委員がポイント・オブ・オーダーで割って入って、「言論の自由には自ずと制約がある。人種差別やイスラムフォビア(イスラム嫌悪)をあおるような言論の自由、他者の宗教を侮辱するような言論の自由、そのような言論の自由は認められない」と非常に厳しく指摘しました(このときばかりは私もワルザジ派)。

リトマンさんは「私はイスラムを攻撃したことはない。私はイスラム学者の文献から引用しているだけだ」。今度は、アルフォンソ・マルティネス委員が、「引用というが引用の仕方には非常に疑問がある、発言者は従来からユダヤ人を代表する立場で知られるが、ユダヤ人を擁護するためにイスラムを誹謗しているように聞こえる引用の仕方ではないか」。再びサタ委員が、「発言者の昨年の提出文書にも誹謗表現があって、削除するべきだとの提案があったのに、NGOの文書から削除はできないということでそのままになった。それでまたこのような発言が出てくる」。

間延びした午後の人権小委員会会場は突如として緊張状態。それまで暇そうにしていた警備員が3人、素早く配置についていました。

リトマンさんの発言は、丁寧に見ると、確かに本人が言うように、「ファトワ」「ハマスの文書」「イスラム学者の文書」からの引用で成り立っていて、文書には出典も細かく明示してあります。「イスラムの教えを引用しているだけなのになぜ非難されるのか」と言うのです。ところが、時代も文脈も異なる様々な文書をかき集めて非常に恣意的な引用をしていることは、イスラムについて素人の私でもわかります。

それに何と言っても、話し方がほとんどけんかを売っているとしか思えない話し方なのです。話し方はある種、彼らしさであり、仕方ないとはいえ、彼が何をしに人権小委員会に来ているのかは疑問に思います。イスラム諸国政府にけんかを売って反感を買い、人権小委員にも反感を買っているだけです。彼は、イスラム世界がユダヤ人を包囲してテロ戦を仕掛けているという被害者意識を持っているのですが、それならそれで具体的な被害事実の報告を中心にすればいいのにと思います。

(3)タイムスケジュール

26日冒頭にタイムスケジュールが採択されました。以下、WGは作業部会。数字は議題の番号。

7月25日 午前 開会              午後 WG議題3
7月26日 午前 秘密会議           午後 議題1、2
7月27日 午前 2                午後 WG議題4
7月28日 午前 2                午後 3
7月29日 午前 3                午後 WG3、WG4(同時並行)

8月 1日 スイス建国日のため休日
8月 2日 午前 3、4              午後 WG6(c)
月 3日 午前 4                午後 WG6(c)
8月 4日 午前 4、5              午後 5
8月 5日 午前 5                午後 5、6

8月 8日 午前 6                午後 秘密会議、投票2、3、4
8月 9日 午前 6                午後 6
8月10日 午前 投票5、6、1         午後 投票5、6、1
8月11日 午前 投票続き           午後 報告書草案準備
8月12日 午前 閉会

8月1日はスイスの建国記念日です。このため人権小委員会の日程が一日短くなっています。また、WGがいくつも入っています。それでも同じ3週間でやっています。昨年から、政府は他の政府を批判しないということになったので、政府間の非難合戦がなくなり、時間の節約になりました。この申し合わせがどこから出てきたのかはわかりませんが、過去数年間、政府間の非難合戦といえば、第一に、日本軍性奴隷制・教科書・靖国をめぐる朝鮮・韓国・中国と日本でした。第二として、カシミール(インドとパキスタン)、コンゴやスーダン問題、中国とアメリカ、キューバとアメリカ+ニカタグアといったところでしょうか。これらの非難合戦がなくなって、「効率的な審議」ができるようになったというところです。

スイス建国というと、リュットリの誓いとかから始まるのですが、それは現在のスイス中央部のシュヴィーツやアルトドルフあたりでのことです。シュヴィーツがスイスの由来です。アルトドルフはウィリアム・テル伝説の地で、市役所広場にはテルの記念碑が建っています。ハプスブルクの支配に対する抵抗物語ですから、16〜18世紀の伝承でしょうか。当時は実在の人物、実話と思われていたそうです。テルを世界に広めたシラーの「ウィリアム・テル」やロッシーニの「テル」は19世紀初頭の作品です。

主権国家としてのスイスの独立は1815年でしょうか。フランス革命後、ナポレオンが欧州を席巻した後、西欧が国民国家を形成していく時期に、スイスも独立し、この時に「離れ小島」だったジュネーヴをスイスに編入しています。「ハンカチ一枚の独立」です。机の上においた地図をもとに、レマン湖の北側の一帯を、スイスとジュネーヴをつなげるために「ハンカチ一枚」分だけフランスに譲歩させた外交勝利。