36252 返信 グランサコネ通信05−21 URL 前田 朗 2005/08/08 22:54
(1)8月5日

人権小委員会は、午前中に議題4を終えて、議題5「差別の予防」に入りました。審議の遅れ取り戻すため、委員の発言も控えながら、NGOの発言をどんどんこなしていきました。

<国際人権活動日本委員会(前田朗)>の発言概要

2002年の平壌会議以後、在日朝鮮人に対する暴力や差別事件が続発した。チマ・チョゴリを引き裂いたり、異本から出て行けと脅迫するなどの差別事件である。2004年秋の宝塚市の記念式典に舞踊のため出演した朝鮮学校生徒に対しても、日本女性による暴言事件が起きている。こうした事件は1994年以来人権機関に何度も報告されてきたが、日本政府は差別防止措置を講じていない。2001年の教科書問題に続いて、今年4月5日に日本政府が検定を通過させた歴史教科書からは日本軍性奴隷制などの日本の犯罪が削除され、日本軍による戦争を美化する記述がなされている。政府がこうした姿勢を取っていることが、日本社会における差別事件の発生を許している。

(2)ヒロシマ・デー

5日午前11時から12時にかけて、国連欧州本部正門前の小さな広場で、NGOの国際平和事務局(IPB)主催のヒロシマ・デー行動がありました。横断幕やポスターを掲げてのサイレント・スタンディングの後、主催者あいさつや発言や歌。昨年も行なわれたのですが、私も知らなかったため、後に「日本人が参加しなかった」とのこと。今年はジュネーヴに来ていた日本人が参加して、「原爆許すまじ」を合唱しました。

(3)ジャパン・デー

5日午後6時から、JOHN KNOXで4回目のジャパン・デーでした。国際民主法律家協会(治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟)主催で、各国のゲストをお招きしたパーティです。100人くらいの参加。ワイン、日本酒、おにぎり、酢の物、寒干大根、お茶。

(4)軍隊のない国家・リヒテンシュタイン

6日・7日はリヒテンシュタインへ行ってきました。リヒテンシュタインは1868年、ヨハン2世のときに軍隊を廃止しています。日本では「スイスに外交権を委ねているから軍隊がない」という言い方がなされますが、不正確な表現です。

リヒテンシュタイン侯は、もともとウィーンに在住していましたし、それ以前はモルドヴァ地方に領地を保有していましたから、第1にオーストリア、第2にチェコとの関係が深いのです。ハプスブルクから侯爵領リヒテンシュタインを認められた後に、ドイツ同盟に入りますが、同盟解体後、単独の主権国家体制を確立します。この時代、リヒテンシュタインはオーストリアとの密接な関係を持ち、貨幣もオーストリアの貨幣でした。その時代に軍隊を廃止しています。第1次大戦でオーストリアが弱体化したために、その後、スイスと協定を結んで、貨幣、電話電信など経済的にも政治的にもスイス圏に組み込まれていくことになったのです。外交の一部をスイスに委ねているのは事実ですが、外交すべてではありません。スイスよりも先に国連加盟しましたし、EUとの関係も密接です。日本にリヒテンシュタイン大使館がなく、スイス大使館が機能を代行しているために、日本では「スイスが外交すべてを代行している」と誤解されているようです。

雨のリヒテンシュタインはとても寒く、気温5度、風邪を引きそうになりました。10年前に行ったときは、首都ファドーツの中心部は車が走っていましたが、今は車が入れないようになっていて、のんびり歩けるショッピング街です。10年前はなかった美術館ができていました。リヒテンシュタイン侯家が保有する世界有数の美術品を展示する場所がなかったので美術館をファドーツ中心部とウィーンにつくったそうです。もっとも、ファドーツの美術館では、この夏はダダイズムの展示です。国立博物館、切手博物館を見たり、リヒテンシュタインの歴史や憲法に関する本を買い込んで来ました。2003年新憲法の解説書を探したのですが、まだ出ていないそうです。また、今春、「ナチス時代におけるリヒテンシュタインの役割」に関する独立歴史委員会報告書が公表されていて、夏には出版されると聞いていたのですが、まだ出ていませんでした。