36360 | 返信 | 満州事変 (2) | URL | 小林 哲夫 | 2005/08/19 22:31 | |
何のために植民地を持ったのか? 明治維新を終えるや否や、日清戦争を始めて、世界の戦争ゲームに参加してl、先ず台湾を獲得し、日露戦争で朝鮮を獲得、満州事変で満州に傀儡政権を樹立して、日本は植民地主義国家へと成長しました。 さて世界史のゲームに参加して、見よう見まねで植民地を増やしましたが、これは一体何のためだったのか?日本の国益になったのか?などを検証してみたいと思います。 これを、1936年に外務省調査部が作った、 「日清戦争より満州事変に至る日本外交の経済的得失」 という資料によって検証することとします。 この資料は現在「アジア歴史資料センター」のホームページで見ることが出来ます。 この資料は満州事変に焦点がありますので、満州事変以前、以後の期間に分けて検討しています。 1、先ず日清戦争以後の植民地経営について(満州を除く) 植民地を持つことによる利益は、対植民地貿易による利益と投資利益があります。 日清戦争から1934年までの42年間の対植民地貿易額(輸出入)は、155億円でした。この貿易から得られた利益を10%と仮定すると15億円の利益を得たことになります。 一方同期間の投資からの配当利益は累計で5億円でした。 貿易利益と配当利益を合計すると利益は計20億円となります。 一方植民地獲得のための戦費は計28億円、植民地維持費(主に軍事費)は30億円で、合計58億円でした。 内訳;日清戦費2億円、日露戦費 20、シベリア出兵4、 植民地補助7、植民地軍維持費 23 この間日本の人口は2千万人が増加しましたが、植民地の日本人は1百万人増のみでしたから、植民地の人口吸収はさしたるものではありませんでした。 2、満州事変の採算(事変後4年間の試算) 事変後4年間の対満州貿易は、輸出額12億円で、前4年間と比較して8億円の増加でした。 しかしこの増加は日本からの新規投資11億円によって日本から購入されたものが多く、投資が一段落した後は輸出は減少します。 また対中国輸出は、反日運動によって5億円減少したのでこの分前記増加と相殺されます。 一方輸入額は7億円で2千万円の減少となっています。 満州事変は資源の確保が目的と思われていますが、統計上は資源の輸入の増加は見られません。 満州植民地への投資は累計11億円と計算されていますが、この投資からの配当は年間4千万円ほどありました。 これは配当率にすると、5%であり、銀行に預金したと同じ程度の利子率にすぎません。 年間平均貿易額5億円から10%の利益があると試算すると5千万円、これに配当を加えて年間計9千万円が、満州植民地からの利益です。 満州植民地の維持費として毎年約2億円が支出されていましたから、毎年1億円の赤字だったことになります。 満州事変の戦費;10億円と約1万人の人命の犠牲は一体何のためだったのでしょうか? 満州を植民地にする目的の一つに、日本の人口増加の吸収ということが期待されていましたが、1931年から35年の間に日本の人口は、389万人の増加でこの内満州移住は31万人でした。満州植民地で約10%強を吸収したに過ぎず、これでは焼け石に水と言った感じでした。 以上のようなことが、1936年の時点で外務省によって考えられていた、ということには驚きました。 |
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