| 36365 | 返信 | Re:殺してもいい(場合によっては) | URL | リー | 2005/08/20 11:47 | |
| > ダラダラ長いわりに内容皆無。 > > 一番の問題は「殺してもよい」「殺す義務がある」と、「発展途上国」がいったらどうなるのかということ。侵略戦争ではなく、自衛戦争だったらやってもいい、と中国人がいえばどうなる。それもダメ、となれば中国人は殺し放題。それはイイ、となれば中国人が(日本人を)殺し放題。 > > 「殺してはいけない」などという子供レベルの言葉など現実にはへの突っ張りにもならない。「ウソをついてはいけない」と同じようなことを言っているだけ。いい大人がこんな程度のことをさもえらそうに述べ立ててよく恥ずかしくないものだと思う。 若かりし学生時代には、幾度か喧嘩をしたものだ。好むと好まざる を問わず、無抵抗で一方的に殴られることを由としない限り、それ は必然的に殴り合いになるのであった。 当時にしても暴力は決して肯定するべきものではないが、当時の学 校内におけるある種の権力闘争を除けば、喧嘩の売買には男子校特 有の「美学」が支配していたものだ。それは単に腕力が強いという だけでは絶対に支持されないそこには滑稽なダンディズムと修羅場 があった。 やがて同級生たちは社会の中で誰もが暴力と決別する分別を身につ けるようになるわけであるが、時として暴力への誘惑に駆られるこ とがある。それは明らかに面と向かって喧嘩を売られた場合である。 対処方法はさすがに殴り合いにはならないけれど、そこは多様な処 世術でもってその場をしのいでいくわけだ。 そんな処世術の中のひとつにこういうのがある。たった一発たとえ ば平手で殴ったら、もう震え上がってしまい「わび」を入れるタイ プのシュミレーションがどうしようもなくできてしまう場合がある ものです。そもそもなにほどの覚悟もなく、内弁慶気質をそのまま 外部にたれながしてしまうようなタイプですね。 顔の見えないインターネットでは、そういったタイプも氾濫してい ます。それは「バカバカしいので相手にしない」という感覚に素直 に直結してしまうわけです。 でも「問答有用」という点から、一点だけ解説しておきたいので、 あえて前ふりを述べた次第です。 近年の日本のテレビでは、殺人の場面が茶の間に多く流されることが 殺伐とした事件の背景であるとする説があります。殺人は「殺したい」 と、実際に「殺してしまう」との距離は途方もなくあるのだと言われ ています。日々繰り返し放映されるテレビによる殺人場面を現実のも のとしてシュミレーションしてしまう感覚が、その「距離」を圧倒的 に縮めてしまったとのだという説ですね。 逆説的ではあるが、この実際の「殺人までの距離」を縮めてしまう要 素のひとつに、痛みに対する理解があるのではなかろうかと考えてい る。痛みを体験したことがない者が、果たして他者に対する痛みをど の程度理解できるのだろうかという疑問がある。ましてや殺人という 死は、その痛みの限界を超えた最終地点であるとも思えるからだ。 戦争を歴史認識や国際政治云々で語られることにさほどの違和感があ るわけではないが、それは根底に「殺し殺される関係」という現実に 対する理解が欠落していないことが前提であろう。それを欠落させた 戦争談義こそ私はたいへん有害ではないかと考えている次第です。 ましてや「殺人」と「ウソ」を同列に混同している認識は、論外とい う以上に、単に「バカ」としか思わざるを得ない。 |
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