| 36367 | 返信 | 【クソウヨ】「マンガ嫌韓流」ってどうよ?【進歩なし】 | URL | ノンポリ | 2005/08/21 01:00 | |
| > 毒芋虫でーーす。 はい、こんばんは。つーかいちいち自己紹介すんなやアホw > 注文していた「嫌韓流」ですが、お盆前にようやく届きました。注文してから手元に届くまで3週間もかかりました。 あんなマンガ買うのに3週間も待たなくてもねえ。俺なんか八重洲ブックセンターで一発で見つけましたが? しかし日韓併合と植民地支配の部分に関しては、予想を裏切って(?)非常にお粗末な内容でした。つーかチミら嫌韓厨の主張そのままだったのが笑えるw 1.「韓国には・・・そもそも誇れる文化など無いのだから!」 そりゃこのマンガの作者は、韓国の文化に興味がないのだろうが・・・「誇り」などというのは主観的なものだから、韓国人が自国の文化を誇りに思っているのなら、「韓国には誇れる文化がある」ことになるだろう。他国人から見てその文化が誇れるか誇れないかなどと述べるのは全く意味なし。アタマ悪杉w 2.「創氏改名については『朝鮮名では満州で中国人に差別されるから日本名を使いたい』との朝鮮人からの訴えに応じたものなんですね」 しかし大多数の朝鮮人は、これを望んだわけではない。 「もちろん改名は強制ではありませんでした」 創氏は強制でしたが、何か? (クリック!) 3.「それから朝鮮人を戦場に強制動員したと主張していますが、 そもそも強制動員する必要もなく志願兵が殺到していたのです!」 たしかに数字上は多くの志願兵が集まっていたが、実際は「応募の動機は殆ど警察の強制的募集に依るもの」だった。(クリック!) 4.「韓国人が併合を望んだのよ! 韓国最大の政治組織である一進会が併合を主張したのよ 日本との連帯によって文明開化を成し遂げようと考えたのね 彼らは日本の力で朝鮮での維新を目指したのよ それと対立したのが清・ロシアに事大する朝鮮王室と両班よ」 ・・・と述べ、 改革派= 一進会・農民・日本 守旧派= 王室・両班・ロシア という図を描いている。 たしかに一進会は大きな政治団体だった。「韓国併合への道」(呉善花/著 文春新書)によると一進会の会員は公称百万人、併合時の統監府の資料では約十四万、最盛期では二十万から二十数万いたのではないかという推測もあるという。しかし、「韓国併合」(海野福寿著、岩波新書)によると、1910年8月の警務 統監部の調査によれば、会員数は9万1896人だったそうである。 どちらにせよ大きな組織だったことに違いはないが、彼らの主張は一般民衆の反感を買い、統監府設置以降1908年6月までに、会員926人が殺され360戸が焼かれという(韓国併合)。たとえば現在の日本に於いて創価学会は巨大な組織だが、それを嫌っている国民の方が圧倒的に多いことと同様と思われ。一進会の主張を農民が支持していたかのように誤解しかねない図は悪質な歴史歪曲と言える。 そもそも一進会の主張は「併合」ではなかった。「合邦」だった。日本と朝鮮が対等に合併し、列強に対抗しつつ近代化していくことを夢見ていたのである。朝鮮民族の尊厳を踏みにじり、朝鮮人も日本国民であると唱えつつ実際は朝鮮人を家畜扱いし過酷な搾取をもたらした日韓併合を望んだわけではない。 しかし理想としては立派だがこれが一般に受け入れられるはずはなかった。1909年12月4日一進会は声明を発表するとともに、曽禰荒助統監に、「韓日合邦」を急務とする上申書を提出したが、曽禰ははっきりとした回答を出さなかった。一進会の主張する「韓日合邦」は、「日本政府が意図する併合の内容形式とは天と地ほどの隔たりがあった」(韓国併合)のである。 この声明に対して、大韓教会、西北学会、天道教徒などが直ちに反対し、声明発表の翌日5日には、韓城西大門で大演説会が開かれ、併合反対決議が行われた。曽禰荒助統監は、このように一進会の言動が日韓併合に対する強い反発を招くことを恐れ、そして一進会に演説・集会を禁じ、一進会と大韓協会の日本人顧問に論旨退去を命じた。朝鮮を植民地化せんとする日本にとって、すでに一進会は邪魔者だったのである。 リーダーの李容九は併合の二年後に没したが、晩年に「日本にだまされた」と述べたそうである。また併合の10年後には元一進会のメンバーから、同会の日本側のリーダーだった杉山茂丸に対して「併合の結果は日韓国民の間に著しい差別をもたらすものであり、無差別平等の対等合邦ではなかった」とその責任を問う問責状が送付されたという(韓国併合への道)。 5.「その頃には安重根義士のような、日帝の支配に抵抗した英雄もいるんだ!」 「ああ、韓国併合に慎重な姿勢を示し、併合賛成派を抑えていた伊藤博文を殺害したテロリストね」 伊藤博文がある時期まで、日韓併合ではなく保護国化を目指していたことは事実である。彼は保護国経営の為、司法制度整備、銀行設立、教育振興、殖産興業など、様々な施策を打ち出したが、その最大の障壁となったのが、激化する一方の「義兵闘争」だった。 また日本人から伊藤の「懐柔政策」を批判する声も高まっていった。例えば韓城の邦字新聞「京城新聞」は、統監府が「韓国内閣と韓国人操縦に汲々」とし、日本側の財政負担のみ増大させている事と、義兵闘争への対策が手ぬるいことに、「当局之が鎮圧の策無くんば責任を負いて退くべし」と批判した。 それらのプレッシャーに屈した伊藤は保護国化案を捨て、併合案に転じたのである。 「伊藤博文伝」によると、1909年4月、桂首相と小村外相が伊藤に恐る恐る「韓国の現状に照らして将来を考量するに、韓国を併合するより外に他策なかるべき事由を陳述」すると、 「公は両相の説を聞くや、意外にもこれに異存なき旨を言明」し、なおかつ桂・小村の提示した「併合の方針」についても、「その大網を是認」した。 その2週間後の東京での演説でも伊藤は、「今や方に協同的に進まんとする境遇となり、進んで一家たらんとせり」と併合を示唆し、聴衆を驚かせたという。そして同年5月、統監職を辞職する。 伊藤の翻意を確認した桂首相と小村外相は、「対韓大方針」と「対韓施設大網」を作成し、「韓国」を併合する方針を明らかにし、韓国保護国化政策に全く未練が無くなった伊藤は統監辞職後4度目の枢密院議長に就任し、事後処理の為訪韓し陣頭指揮に立ち、「韓国」政府に「韓国司法及監獄事務委託に関する覚書」を調印させ、また「韓国軍部廃止勅令公布」を行わせた。 5のおまけ.「彼(伊藤博文)へのテロ行為が併合への動きを加速させたのよ」 ・・・アホか?伊藤が指示した、朝鮮政府からの司法権の剥奪と軍隊の解散は、完全に朝鮮の国の主権を奪うことであり、「併合への動きを加速させた」ことに他ならない。 「こうして伊藤は、つみあげてきた保護国構想を自らの手で壊し、併合への道を掃き清めて韓国を去った」(韓国併合) さて、以上のうち1は韓国とその文化に対する許し難い侮辱であり、2は愚かしい誤解を招く恐れがあり、また3〜5は非常に分かりやすい事実誤認、歴史歪曲である。このようなマンガは絶版・回収が命じられるべきであろう。とりあえず民団や総連に御注進してみようかな、と。 > さて、前回こんな投稿をしてみました。↓ > > > しっかし、子供にこんな絵描かせてる国のシトがいう台詞ではないと思いますた。 > > 親の顔が見たいとはまさにこのことですが、いろいろ調べてみたところ、大人もやはりこんなことをやっていました。親が親なら子も子でつね。 チミが言ってるのは、「日本では『嫌韓流』とかいう変なマンガが売れている。だからおまいらが俺の国の中の出来事について文句をつける筋合いはない!」と韓国人が言うのと同じだと早く気付けよボケ。 韓国人一般が日の丸を踏みつけたり、子供に変な絵を描かせたりしているわけではない。同様に日本人一般があのマンガの内容のような主張に同意しているわけではない。ただそういう馬鹿も一部にいるってこと。 > 繰り返しになりますが、「新しい歴史教科書」は内容的には特に問題があるとは思えません。 「問題」は無いのに、ほとんど採択されていないってことは、「良いところ」もないってことですか? ちなみに扶桑社「教科書」を採択しなかった採択地区の教育委員の一人は、「(あの教科書は)水準に達していない」と述べたという。 > 日の丸踏みつけて喜んでいるような連中とか、中核派には都合が悪いのかもしれませんが。 「都合」がいいのはチミら一部のアホだけやねw |
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