| 36477 | 返信 | グランサコネ通信05−27 | URL | 前田 朗 | 2005/08/26 19:32 | |
(1)赤十字博物館 久しぶりに赤十字国際委員会の博物館に行ってきました。90年代には何度か行ったのですが、久しぶりです。 イタリア統一戦争のさなか、ソルフェリーノの闘いに遭遇したジュネーヴ在住のアンリ・デュナンは、傷病者の悲惨な状況を目の当たりにして、その地の村人たちとともに、戦場に放置された傷病者の保護活動を行いました。クリミア戦争のナイチンゲールが一方の側の負傷兵だけを救援したのに対して、デュナンは敵味方を問わずすべての傷病兵を救援したのが特色です。ジュネーヴに戻ったデュナンは「ソルフェリーノの思い出」を執筆し、傷病者の救援を訴えます。ジュネーヴ市民が設置した5人委員会が後に赤十字に発展していき、ジュネーヴ条約(赤十字条約)がつくられ、国際人道法が発展していきます。国際人道法の大きな流れには、オランダのハーグでつくられたハーグ法(ハーグ条約、陸戦法規慣例規則)と、ジュネーヴ法の2つの流れがあり、両者が合流して今日の国際人道法となっています。その赤十字の形成、第一次大戦や第二次大戦における活動、さらには戦争だけではなく伝染病や災害対策への努力、そして最近の戦争や虐殺被害の救援の歴史が展示されています。赤十字の歴史を漠然と知っていた時期に見たのとは違って、今回は全体が良く把握できました。カフェテリアの昼食は国連のレストランに比べてやや高め。 1999年には、1949年ジュネーヴ諸条約50周年の記念式典が行われました。2007年は、1977年の2つの追加議定書30周年ですが、何かやるのかどうか。私は「日本で無防備地域宣言運動<世界>ネットワークのシンポジウムをやろう」などと言っているのですが。 (2)クレーの天使漬け 25日にはベルンへ行って、パウル・クレー・センターを見てきました。ベルン美術館にはクレーの天使が何点もあり、簡単なデッサンを含めると数百点のクレーがあったので、何度も行きました。2003年に行ったとき、パウル・クレー・センター建設中との表示を見ました。昨年秋に完成。ベルン美術館のクレーはみなセンターに移されました。 ベルン駅からバスで10分ほどの小さな丘陵地にセンターがつくられていますが、大きな3つの「波」が谷間に沈み込むように設計されていて、クレーにふさわしい斬新な建物です。単なる美術館ではなく、エキシビジョン・ホール、研修室、図書室、子ども図書室などさまざまなセクションがあり、スイスにおける美術教育のセンターも目指しています。真ん中の並みの下にクレーが展示されていました。これがクレー? というような作品もあり、初期から晩年まで追いかけることができます。1階の大きなホールに百数十点のクレー。そして地下のホールにはクレーのデッサンが多数。ここに天使たち。そして両方に、クレーがつくった手袋式の指人形がたくさんありました。エスキモー、自画像、死神などさまざまの指人形は楽しめます。クレーは10年間(1921年から1931年)バウハウスの教師をしていました。私の勤務先はバウハウスをモデルとして建学されたので、グロピウス、カンディンスキー、クレーなどは格別な存在です。センターには、クレーの作品だけでなく、講義用のノートや、クレーが使った用具なども陳列されています。結局、5時間も遊んでしまいました。 来週はフランスとスペインの間にあるアンドラに行ってきます。クレーは1933年、ナチス一派によってデュッセルドルフ・アカデミー教授をクビにされ、スイスに逃げましたが、クレーに触発されて雑誌「新しい天使」を構想したベンヤミンは、ナチスから逃れて辿り着いたフランス・スペイン国境で亡くなったはず。村の名前を覚えていません。ペルピニャンあたりか・・・ |
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