| 36493 | 返信 | 日本の戦争犯罪の追及 | URL | 小林 哲夫 | 2005/08/27 18:02 | |
天皇の責任を日本人自身が追及するのは、恥ずべき行為だと前回書きました。 自分達が大将と仰いだ人を、負けたからと言って、敵に引き渡して自分達の罪を逃れようとするのは卑怯な態度だからです。 こういうことを言うとすぐにドイツ人は自分の親であっても悪いものは悪いと追求した、ということが思い浮かびます。 私はドイツ人のこの反省の仕方に敬意を持っています。 とすると天皇の責任を追及するのは卑怯だ!という前の主張と矛盾しているように聞こえるかもしれません。 この二つの考えを一貫させる論理は「犯罪」という観点です。 ドイツ人のやった反省を日本人が見習うとすればそれは、例えば南京虐殺を日本人の手で、裁きなおすことでした。 今からでも遅くないからそれをやるべきだ!と以前この掲示板で主張したことがありましたが、サヨクから大反対がありました。 確かとほほさんだったと思いますが、そんな裁判がもしあったら弁護士を名乗り出る!とまで息巻いていました。 それほどに法的追求ということにアレルギーを示すのが日本人です。 サヨクが大問題にしている南京虐殺の犯人を今からでも裁くというと、なぜアレルギーが起こるのでしょうか? 日本の国内法で明らかに犯罪だったことを見直そうという気持ちにどうしてなれないのでしょうか? 想像するにこの問題は、中帰連の人達のことがすぐに思い浮かぶのではないでしょうか? 彼等は既に罪を自白しているのですから、裁判の出発点にならざるを得ないと思います。 自白しているのですから、有罪も確定しています。 そして充分反省もしていて、二度とあのようなことが起こらないように、さまざまな努力をしている人達であることは良く知られています。 そういう人を今更罰する必要は無いことは明らかです。 私ももちろん罰するために裁判を提案しているのではありません。 ドイツ人を見習うとしたらここが出発点だと気が付いてほしいからです。 こういうアイデアを読むだけでもうサヨクの人達にはアレルギーが発症していると想像できます。 だけどこの厳しさを避けていては、どうして犯罪を犯罪として追及することが出来るでしょうか? そしてここまで考えると、日本人にはこのような身内を犯罪者として裁くことは到底出来ないのだ、という認識にたどり着きます。 日本人の民族性として、身内の犯罪を暴くことは不可能だ!とあきらめて、我々日本人全体の罪だと、われわれ全員で引き受けるのが正しい道だと私は提案します。 過去の日本人が犯した犯罪を全てうやむやにして、一括して日本国民が引き受けてしまうのです。 これが私の「南京虐殺裁判やり直し提案」を撤回するための論理です。 もし有耶無耶にすることに反対の人があったら、やり直し裁判の提案をお願いします。 |
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