36498 返信 Re:「百人斬り」勝訴:いくつかの感想 URL 梶村太一郎 2005/08/28 02:48
梶村です。

渡辺さま、おひさしぶりです。
今回も、いつものように極めて冷静なご報告に感謝します。
また、純粋に手弁当で裁判をささえているみなさまにも感謝とお祝いを申し上げます。

わたしはまだ判決文を読んでいないので,裁判所が両者の証拠をどれだけ採り上げ
それをどのように評価しているかを知らずに論評はできないので,とりあえずは事実Comあたりの情報によっています。

以下、わたしの現時点での感想を書きます。

渡辺さん:
>  しかし、名誉毀損の前提として、仮に「百人斬り競争」の記事が虚偽であることが明らかであるにもかかわらず、あえて本多氏がこれをとりあげたのかどうかを裁判所は判断したのです。そして、その結論ははっきりしています。『両少尉が「百人斬り競争」を行ったこと自体が,何ら事実に基づかない新聞記者の創作によるものであるとまで認めることは困難である。』(p.114)要するに、「百人斬り」が記者の創作とまで認めることは困難と、はっきり言っています。
>

おしゃるとおり、裁判所としては極めて常識的な判断を下したということでしょう。
わたしが、この裁判の意味について書いたのは、提訴から数ヶ月後、ちょうど2年前の季刊中帰連26号でした。ていねいに訴状を読んで書きました。

わたしから言えば、この連中は世界中にいる各種歴史改竄主義者たちに共通する典型的な性格をいくつもちゃんと備えています(もちろんご本人たちはそんなことは知らず、また関心も無いでしょうが)。そして同じ運命をたどります。

「法廷では『アウシュヴィッツガス室否定訴訟』と同じく、歴史を改竄しようとする者たちに共通する『加害と被害を取り違えた倒錯性』が明らかにされ、『南京まぼろし派』は最終的に敗訴するであろう。この裁判の本質は南京大虐殺の犠牲者を冒涜し、死者の名誉を毀損する第二の犯罪であるからだ」(梶村、季刊中帰連26号)
これが、わたしから見た評価です。

判決で、この結果に半歩近づいたということでしょう。初めから明らかなことですが。
若い研究者でこの視点から、この訴訟を採り上げるひとがそろそろ出て来ることを期待します。渡辺さん、せっかくですからひとつ試みませんか。

それにしても、日本の歴史改竄主義者たちは、初審段階からまるでピエロですね。裁判に持ち込んだために、「据えもの斬りであった」とする本多氏の主張を、強力に裏付ける望月手記が出てきたり、百人どころか「三七四人の敵を斬りました」と本人が証言する当時の新聞記事が発見されたり、わたしたちだけではなく、裁判所もビックリしたのではないでしょうか。

普通の常識ある民事の原告ならば、ここで提訴を取り下げるのですが、そうしないところに、原告を利用し裁判を手段にしている政治目的が見え隠れしますね。やはりなんと言っても、この裁判で最も気の毒なのは原告のみなさんです。わたしは本多さんよりも原告にされた遺族の方々に同情していますし、このことも、上記の論考に書いたとおりで、判決がありますますこの思いが強くなります。

原告は控訴するらしいですが、一体どのような法廷に持ち込むつもりなのでしょう。相手の立場に立って考えても、これは大変難しいことです。おそらく、証拠にならない証拠をこれまで以上に積み上げ、そして「日本刀では百人斬れない」といった、古くさい主張に執着する位しか能はないのではないかと思うのですが、どうでしょう。

これも、もし争点になったとしても、また恥をかくだけになります。中国で日本刀で何十人も斬り殺した証言は多く、いまも元気な証人は幾人もいますからね。撫順の戦犯の裁判でもこれを証明する証拠はいくつも挙げられています。なにしろ被害者の法廷での証言(加害者が殺したと思っていたら生のびた人がいたのです)まであるのです。
これが、実際にこの裁判で争点になるとは、それこそ常識的には考えられませんが、万が一、高裁が望むようなことになれば、原告はますます惨めなことになります。
いずれにしろ、自ら掘った穴に陥って、そこが彼らの蟻地獄となることには違いないでしょう。

さて、この連中は、凝りもせずだいたい同じメンバーで、最近は大江健三郎氏に噛みつきました。こんどは「沖縄戦の犠牲者の冒涜」に精を出すつもりです。沖縄の人たちが多いに怒るでしょう。度し難い傲慢無恥ぶりです。その弁護士が国会議員に立候補とは、これも酷い話しです。
ついに日本も本格的なファシストが、政治の表舞台に登場してきたと考えてよいでしょう。石原慎太郎なんぞはプチ・ファシショで過去の人です。