| 36564 | 返信 | 国際戦争法規の矛盾 | URL | 小林 哲夫 | 2005/08/31 14:20 | |
普通の日本人は、平和な日常生活の中に突然戦争という異常な事態が起こると考えます。 南京事件のようなことは異常な環境の中で起こったことだから、止むを得ないという考えになりがちです。 平和なときの日本人は、紳士的で優しいのだが、戦争になると突然異常になるのは、異常事態だから止むを得ないという弁解です。 しかし歴史始まって以来戦争に明け暮れてきた西洋ではそういう言い訳は通用しません。 西洋人は戦争こそが日常社会であって、戦争が無い平和な状態は特別の時期だと考えています。 国際戦争法規というものは、日常的な戦争の中での異常な残虐性を禁じて、戦争を日常の枠の中に収めようという努力です。 戦争犯罪は西洋人にとっては、正常の中の異常であり、日本人にとっては異常の中に起きた異常なのです。 日本人ならすぐこの矛盾が解ると思いますが、残虐な戦争そのものを常識の範囲と認めて、その常識を超える残虐を禁止するなどというのは、矛盾であり、偽善にすぎません。 人殺しに残虐でない人殺しなどあるはずがありません。 合法の人殺しと、犯罪の人殺しを区別する感覚は日本人にはありません。 しかし戦争を普通の状態と考える西洋では、この偽善が堂々と通用して、国際法の中に「戦争法規」という奇妙なものが存在しています。 西洋人はこの戦争法規によって、残虐は減少すると考えています。 しかし残虐な戦争そのものを止めようというものではありません。 戦争法規を守りさえすれば、美しい、正しい戦争が出来るとでも考えているのでしょうか? 江戸時代250年の戦争の無い時代を過ごした日本人にはこのことが絶対に理解できません。 日清、日露のときは、西洋社会に仲間入りするのが目的でしたから、この矛盾に溢れた国際法を丸のみして、懸命に守りましたが、日本に自信がついて、こんな偽善が見えてきた昭和の戦争では、もう馬鹿げた努力を止めてしまったために、多くの戦争犯罪が起きました。 現在行なわれている東京裁判は違法か、合法か、という議論も、西洋人が作った奇妙な矛盾をどう解釈するか?というものに過ぎません。 東京裁判が国際法としてたとえ合法だとしても、それで戦争を止める思想にはなりません。 戦争というものをなんやかんや理屈をつけて合法化しようとするものに過ぎないからです。 つまり現在の国際法によって、戦争の本当の悪に迫れるものではありません。 「平和に対する罪」というものを無理矢理作り出して、戦争に負けた方だけを悪者にする考え方は、戦争の本源的悪に迫るものではありません。 戦争犯罪を減らすためには、裁判を行なって犯罪を処罰することよりも、戦争そのものを無くすことの方が先決です。 世界はいつも戦争状態にある、という西洋の戦争観を克服しない限り、世界の平和は達成されません。 かつての戦争について、日本だけを悪者にして済ましているような世界に平和はやってこないでしょう。 西洋人が人類の歴史全体を反省する気にならなければ、平和はやってこないでしょう。 それは今の西洋人には無理な要求ですから、平和民族である日本人が率先して見本を示す以外に無いのです。 |
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