36568 | 返信 | 「戦陣訓」の必然性 | URL | 小林 哲夫 | 2005/08/31 22:28 | |
太平洋戦争の敗北を悲惨なものにした一因に、1941年に出された「戦陣訓」の「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」の一文であったことは広く知られた常識です。 捕虜になる恐れがあったらその前に自殺しろ!という命令です。 これこそ日本の特異な戦争観を見事に表現したものです。 そもそも西洋の戦争は捕虜を取って、身代金で儲ける為に行なわれた、という伝統がありますから、負けたら捕虜になる、勝ったら捕虜を取るというのが原則です。 西洋人の戦闘では全兵力の四分の一が戦死したら降伏する、という原則がありましたが、日本では上の考えから、玉砕が原則でした。 太平洋戦争の末期にはおびただしい数の玉砕が出て、勝つ見込みのない戦闘で無駄死にした兵士の方が多いという悲惨な事体を招きました。 これに対して、西洋の兵士は後ろめたさを持たず堂々と捕虜になり、捕虜としての権利を要求します。 そして捕虜になってからも旺盛な闘志を失わず、絶えず脱走の機会を狙います。 ところが日本軍兵士が自殺の機会を失って捕虜になると、一転して対敵協力に懸命になるという不思議な現象が起こります。 これは全く説明の難しい現象ですが、今では世界中、誰でも知っていることです。 考えてみればアメリカの占領が上手く行ったのも、この現象の一貫に違いないと思われます。 アメリカはイラクでも同じ現象を期待したようですが、これは日本だけにある特異な文化だということが、今証明されつつあります。 日本の将棋は、取った駒を自分の駒として使えるというルールがあり、チェスにはこれが無いことと対応しています。 この捕虜になるくらいなら自殺するという潔さと、捕虜になったら積極的に利敵行為を行なうという相矛盾する日本人の性質は、戦国時代からの伝統であり、西洋人もそれを日本人の特徴と見て、記録しています。 この二つの相矛盾する要素を考えて見ます。 これは「日本兵は捕虜になると敵に協力する」という要素が先にあると考えると説明できます。 利敵行為をさせないためには、捕虜になってもらっては困るから、捕虜にならずに自殺せよ!と命令した、という論理です。 もしこういう命令がなければ、日本兵はどんどん進んで捕虜になったと考えられます。 戦力の有効な活用という点では西洋のように捕虜になっても戦意を失わず、その内カムバックするような兵士が好ましいのが当然です。 日本のように簡単に自殺してしまうのでは、戦力の消耗はなはだしく、無意味に戦力を失うことを意味します。 しかしながらそれでも敢えて「死ね!」と命ずるのは、利敵行為を行なうことが明らかに予想されるからでは無いでしょうか? こういうことを考えると、日本人は本当は戦争に向いていないのだ、と私は思います。 |
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