| 36613 | 返信 | 二重基準について | URL | 小林 哲夫 | 2005/09/04 09:26 | |
| 猫まんまさん こんにちは 猫まんまさんの考えはなかなかバランスが取れているので、反論するところがありません。つまり議論になりません。 もうすこし私と考えが違うところを取り出してもらった方が面白いのではないでしょうか? そこで考えが違いそうな二重基準についての私の考えを書いて見ます。 「侵略は悪い」と日本の過去を批判するのなら、中国の侵略も同様に批判しなければ、二重基準になるというのが猫まんまさんの考えでしょう。 私の場合は「侵略は悪い」という基準の前に、「他国のしていることに干渉しない」という基準を重視します。 >『非難する事自体はよいのではありませんか?(猫まんまさん)』という考えに反論しています。 隣国を非難すれば、国同士の対立になり、極端に言えば戦争になるからです。 「非難」ということを日本人は、言葉の遊び程度に軽く考えていることを危ないと感じます。 つまり中国のチベット、ロシアのチェチェンを非難してはいけない、という考えです。 ところが私の論の中に矛盾があります。それはアメリカのイラク侵略です。 私はこれは「侵略だ」と批判して来ていて、ここには私に二重基準があるように感じます。 「誰にでも矛盾はあるものだ」と放置してきたのですが、ここでちょっと考えて見ます。 アメリカの侵略は、安保条約によって日本の行動に影響を与え、イラク派兵をあんに強制されますから、自分自身が火の粉をかぶらないために、非難しておく必要があるという理屈です。 だから今回のイラク侵略戦争が、仮にイギリスだけによってなされたものであったならば、私は非難はしない考えなのです。 アメリカ非難も、究極は安保条約破棄を考えるまでで、アメリカを強制してイラク侵略戦争を止めさせる、という意図は持たないものです。 要するに「非難」という言葉が、政治の世界でどういう意味を持つかということの問題です。 友達同士が世界の動きを勉強している時に、いろいろ非難するのは、勿論問題無いのですが、政治的発言として、正式に他の国を非難する時には、それが何を意味しているかを考えたものでなければいけません。 中国のチベット問題について言えば、良心の囚人についてのアムネスティーの活動を私は支持します。 しかしチベットの独立を応援するような言動は、してはいけないという、節度の問題なのです。 日本人は言論ということを軽く考えすぎるという批判です。 私の第一基準は、「自国を非難するが、他国は非難しない」というものとして理解いただけたでしょうか? 余り自信はありませんが・・・・。 |
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