36642 返信 ネベツネ親分が転んで、慎太郎も転身?(笑) URL とほほ 2005/09/05 18:22
---
 私は毎年何度か靖国に参拝しているがその度、念頭から私なりに何人か、のあの戦争の明らかな責任者を外して合掌している。それはそうだろう、靖国が日本の興亡のために身を挺して努め戦って亡くなった功ある犠牲者を祭り鎮魂するための場であるなら、彼等を無下に死に追いやった科を受けるべき人間が鎮魂の対象とされるのは面妖な話である。死者の丁寧な鎮魂を民族の美風とするにしても、罪を問われるべき者たちの鎮魂は家族たちの仕事であって公に行われるべきものでありはしまい。
---


さて。この文章は誰あろう?皆さんなんと石原慎太郎であります(^^;
慎太郎メルマガで配信されました、【『日本よ』 石原慎太郎 「歴史に関する、ことのメリハリ」 2005年9月5日発売の産経新聞より転載】

この一文だけではなく他のところも慎太郎にしてはまともな事を言っている、東京裁判批判はあいかわらずだが、これはこれで確かに議論の余地はある「戦争裁判」についての論考でありデタラメな批判というわけでもない。裁判の是非は別にして戦争責任問題はきちんと位置づけておかねばならない、と結論しA級戦犯を批判している(手のひらを返したようにA級戦犯を口汚く罵るのはやつの性格だから仕方ない)

ナベツネが転んだら、お上べったり慎太郎も早速転身だ(笑)恥も外聞もない男だ。
因みにわずか2ヶ月前に慎太郎が何を言っていたのかも掲載しておこう。


---
 この国の中にもそれに応え、経済利益を唯一の国益と称し相手のいい分に屈せよと唱える者がいるが、それは所詮(しょせん)姑息な手立てでしかありはせず、その結果我々は最も大切な、国家の芯の芯に在る、掛け替えなきものまでを売ろうとしているのだ。それは我々が永遠に受け継がなくてはならぬ国家としての、民族としての心意気に他ならない。そしてそれを敢えて失うことで我々が中国以外のすべての他者から勝ち得るものはただ軽蔑でしかあるまい。それにどう考えても、もし総理が靖国参拝を中止したとして、中国がそれを大いに感謝評価し、にわかに友好に転じる訳もない。さらに我々の心の内にまで手をつっこんでの露骨な干渉となるのは自明のことだ。

 常識のレンズをかざして眺めれば、現今の関わりの中で中国の方が日本を失えないのは自明である。よしんば我々が市場としての中国を失ったとしても、日本の技術を含めた経済力をもってすれば他の代案はインドやシベリア等々優に有り得よう。中国を切り捨てることでしばしの経済停滞があったとしても、この豊かさの氾濫(はんらん)の中でそれを甘受出来ぬというなら、我々は実はすべての価値を失うことにもなりかねまい。

 国家はその芯の芯にある価値を阻害された時、取り返しがつかずに腐れ果て、蘇(よみがえ)ることはありはしまい。それは歴史の工学が多くの事例で証しているところだ。
 そして「靖国」が今後の日本にとってどのような意味を持つかを大きく決めるだろう瞬間は、今年のこの事態の中で、小泉総理の靖国参拝にかかっているといっても過言ではあるまい。

---


つまり180度全く逆のことを言っていたのだ、首相は靖国に参拝すべきだ、と主張していたのだ。
もっとも今回の記事も慎太郎にしては上出来と言うだけで


---
 あの裁判の最中に、件の開廷冒頭の陳述への配慮も踏まえ、瞬時にして数十万の非戦闘員を殺戮(さつりく)した原爆への罪悪感の相殺のために突然でっち上げられ法廷に持ち出された南京大虐殺なるものも、互いにまだ一級の歴史資料が現存する今、靖国に祭られる者の資格云々とともに我々自身の手で検証されるべきに違いないと思うのだが
---


こう言う口の軽さデタラメ無責任発言だけはあいかわらずだ、しかしこれだけ見事に前言と逆の主張が出来ると言う頭の悪さだ、責任感と言うより自分が何を言っているのかわかってないに違いない