| 36697 | 返信 | Re:百人斬り訴訟東京地裁判決文 | URL | 梶村太一郎 | 2005/09/10 04:08 | |
| 渡辺さま、 Jijitu.comにわかり易い判決の解説がでましたので、右翼のみなさんにはそちらで 勉強してもらって、出直してもらうことにしましょう。 さて、 > 梶村: > > このままでは、控訴審でも原告の敗訴はまず間違いないと思われますが、無能な弁護士を取り替えたり、また上級審では反動的な判事が出て来る可能性もありますので、いかなる法廷にも耐えられる、「据えもの斬りがあったことを裏付ける客観的資料」を提出する必用があるでしょう。 > 渡辺さん: > 死者の名誉毀損については、学説に基づいたしっかりした判例があります。 > 指摘された事実や論評が虚偽であることを原告が立証できないかぎり、原告敗訴は確実です。しかし、新聞記事にかかわった3人の記者が共通に述べるように両将校が「百人斬り競争」なるものをしていた事、新たに発見された望月証言などから殺害していた対象の多くが捕虜や非戦闘員であろうことは客観的にみればもはや否定困難です。 > 特に、望月証言は現場の目撃談ですから、何十年も前の事実を争うような事件では証拠価値が高いと思われます。すでに、志々目証言がありますが、これは野田氏から聞いたという体験であって、実際にどうであったかを証言する直接体験ではありませんでした。望月証言が発見されたということは、今回の訴訟によって得られたおおきな成果です。 > これは、その通りですね。判決文での望月証言の評価も全うです。唯一の目撃者の証言ですから、これは重いです。 この手の証拠が、これからも出現する可能性は、非常に少ないでしょうが、ないとも言えません。これはしかも「据えもの斬りであった」証言ですから、なおさらです。 私が考えているのは、日本刀では百人斬りがそもそも不可能であるという、例の山本七平以来の論拠をくつがえす、証拠:「据えもの斬りがあったことを裏付ける客観的資料」を控訴審では提出できるのではないかということです。 そうすれば、 梶村: > > 少なくとも「本件指摘事実が、一見して明白に虚偽であるとまでは認めるに足りない」とする、原判決をもう一歩踏み込んで「本件指摘事実が、おおむね事実であると認めるに足る」する控訴審判決を勝ち取ることは、可能だと考えています。(その理由はこれから次第に明らかになって来るでしょう) > まで、押せないかということです。攻撃は最大の防御ですし。 渡辺さん: > 判断の基準が「虚偽」であるかどうかということである以上、やはり「虚偽とはいえない」という主旨の表現になるのではないでしょうか。 > 地裁裁判官は分かっていたと思います。しかし、あえて史実の詳細に踏み込まなかったのではないでしょうか。 おそらくそうでしょう。その意味でも裁判官は極めて常識的であったのです。 > 私自身は、裁判所が歴史事実の判断に不必要に深く立ち入るべきではないと考えています。というのは、特に民事訴訟は一般に訴訟の枠内で判断されるもので、証拠として提出されない資料は考慮されません。原告・被告の応酬だけで歴史事実が判断されることには抵抗感があります。 もちろん、歴史家の仕事の真偽を裁判所が判断することなど、本来は許されない事です。 それを「せよ」と強要するのが、歴史修正主義者たちに共通する「性癖」なのです。 八木沢さんへの、inti-solさんの回答がこれをこの争いの具体的面から指摘しています。(わたしがいそがしい間に彼が反論してくれました=ありがとうございます。ついでで、失礼ですがお礼申し上げます) 裁判所もそのことを自覚しているから、その判断をできるだけ避ける表現にしたのでしょう。これも、常識的です。 私が、考えているのは「ガス室否定裁判」での経験からのことです。 この判決では、一歩踏み込んで、ニュールンベルク裁判の「ガス室大量虐殺は事実であった」とする判決を、日本の法廷が初めて認知しています。 ですから、せっかく原告が控訴するのであるから、「百人斬りのような据えもの斬りは事実としてあった」ことを裁判所が認知できる証拠を出して争えるのでないかと考えているのです。特に中国では、いたるところであったのです。まだ健在な加害者もいます。 |
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