36868 | 返信 | 今日は何の日?→満州事変勃発の日 | URL | 右翼討伐人 | 2005/09/18 21:00 | |
今日は何の日でしょうか?満州事変勃発の日です。中国では9.18事変、日本では柳条湖事件といわれています。中国の民には今後15年間にわたり、中国の大地は日本軍に蹂躙されなければなりませんでした。 9・18事変記念日、100以上の都市で一斉サイレン http://www.people.ne.jp/2005/09/18/jp20050918_53632.html 9・18事変74周年 各地で記念活動 http://www.people.ne.jp/2005/09/18/jp20050918_53626.html 柳条湖事件74年で記念行事 中国各地で追悼式 http://flash24.kyodo.co.jp/?MID=RANDOM&PG=STORY&NGID=intl&NWID=2005091801003319 ところで、この9.18事変について中国側のメディアの関心は高いようですが、当時の加害者である日本側には特集を組むなどといった動きがほとんど見られません。当時の日本国民にとっても破滅への道を歩んだ重大な分岐点であるのにも関わらずです。 日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と次々と領土・権益権を広げていきました。明治政府以来、日本が歩んだのは、まさしく欧米列強が歩んだ、力と武力を背景にしたなりふり構わずの覇権主義でした。ついに既存の植民地だけではなく、満州という広大な土地に触手を伸ばすきっかけになったのが柳条湖事件です。 柳条湖事件というのは当時の日本の一連の大陸侵略の端緒となったもので、1931年9月18日に関東軍が起こした自作自演の事件です。関東軍は柳条湖村で線路を爆破し、 国民党政府と通じていた満州の軍閥、張学良のしわざにしようとしたのです。日本の植民地である関東州や鉄道付属地や一連の満鉄の権益を守るために設立されたのが関東軍であり、終戦直前まで満州支配の中核となる役割を担った軍隊です。その一部の参謀が暴走して爆破しました。 当時、日本商品排斥運動や世界大恐慌の影響により、満鉄の経営は悪化していました。 さらに軍閥の張学良が対抗して鉄道路線を敷設したことも追いうちをかけました。 軍部や右翼勢力、一部の右派政治家等が満蒙の危機と宣伝し、政府に強い対応を要求した。こうした国内情勢をみて、機会を狙っていた関東軍が柳条湖事件を引き起こし、張学良のしわざだとして張学良の軍閥を攻撃、さらに侵攻し、奉天などの満州の主要都市を制圧しました。 柳条湖事件の当時、政党内閣であり、当時の若槻礼次郎首相には一応の良心があり、不拡大方針を発表したものの、戦線拡大を止める力はもはや当時の内閣にはなかったのです。関東軍はついには東北三省全域に戦線を拡大し、11月にはチチハル、翌年1月には錦州、ハルビンを占領し、1932年には満州全土を軍事制圧したのです。土地は狭く資源に乏しい日本にとって、広大な土地と石炭やマグネシウムなどの資源に恵まれた満州は魅力的だったのです。だからこそ、策略をしかけて、戦争を始めて、暴力を使ってでも奪い取りたかったのです。少なくとも当時の軍部の指導者はそう考えていたのでした。その年の3月には清の最後の皇帝だった溥儀を担ぎあげて満州国を建国しました。 一応独立国とはなっていましたが、ほんの形だけで、日帝の権益の都合だけを考えたものでした。国とは名ばかりの操り人形であり、実質的には日帝の植民地である。中国側では9.18事変と呼ぶが、柳条湖事件に始まる関東軍による一連の満州侵略戦争をさすものです。 当時の新聞の論調等をみれば、日本人の多くは関東軍の一連の行動、満州国建国を 侵略だとは思っていなかったようです。それどころか、これで世界の欧米列強に肩を 並べることができたと考えていたようである。軍部の指導者はこういうことも狙っていたのです。日本の軍国主義ファシズム体制勃興の一幕があけたというわけです。 満州国建国が当然ながら当時の国際社会では正当なものと認められなかったです。1933年の国際連盟総会で日本は満州国建国の正当性を否定され、欧米各国を加えた共同管理を提案するリットン報告書が参加国の大多数の賛成によって可決されました。日本は国際連盟を脱退することになり、 軍国主義の狂気が加速し、その後、日中戦争、太平洋戦争と戦争と侵略と搾取と虐殺、破壊と血の道を歩んでいくことになるのです。 柳条湖事件から満州国建国までの流れをみると、満州事変というのは日清・日露戦争で開けてしまったパンドラの箱を完全に破壊して完全に逆戻りできなくなる大日本帝国覇権主義が破滅への道を歩みだした瞬間だったのです。戦前の大日本帝国の地図を見ると、日本の領土の大きさには驚かされます。ただし、それは国力にあっていない無謀な覇権主義によるものでした。日清戦争、日露戦争と着々と政府を乗っ取りつつある軍部は満州事変(9,18事変)のころになると暴走の兆候が顕著になり、ノモンハン事件のころには政府を完全にコントロール下に置きました。もちろん、数々の戦争から教訓(近代兵器による蹂躙の意味、情報の重要さ)を得ようとすることなど全くありませんでした。そして、2年後、太平洋戦争へと雪崩れこんでいき、日本本土を空襲で火の海とされ、挙句の果てには原爆を落とされ、シベリア抑留や残留孤児といった悲劇を生んでしまったのでした。南京大虐殺や従軍慰安婦の問題もあり、中国やアジア諸国の方々が味わった苦しみははるかに日本国民のそれらを越えるものであったことは疑う余地はありません。中国民衆にとっても、韓国や台湾などの日本の植民地の民衆にとっても、他のアジアの民衆にとっても、もちろん日本国民にとっても世界史上最大の悲劇への幕開けだったのです。どうして日本はこのような重大な分岐点の一つとなった日に関心をもたないでしょうか? |
||||||
![]() |