| 36886 | 返信 | Re:百人斬り訴訟東京地裁判決文ーー訂正です | URL | ピッポ | 2005/09/19 12:04 | |
| [36885] の訂正です > 野田少尉の遺族が、南京裁判関係の資料を集めたときに、いっしょに持ち帰ったものだったのですね。 ↓ 向井少尉の遺族が、南京裁判関係の資料を集めたときに、いっしょに持ち帰ったものだったのですね。そのなかにあった野田少尉の弁明書の一部を、産経新聞記者が「手記発見」と出所を明らかにせず発表したのでしょうか? > 渡辺さん:> > > > > それは、平成13年に発掘されたと産経新聞が大々的に報じた、野田少尉の獄中手記のことです。 > > > http://ww1.enjoy.ne.jp/~yonagosehara/noda_syuki.htm#手記全文 > > > これが、「地裁判決全文」には記載されているのでしょうか? > > > 似たような文書の紹介と思われる記述は、以下の記述です。 > > > > 私は当事者ではないので確定的なことは言えませんが、「新聞記事の真相」という題名で内容も同じなので、「手記」と同じ物と考えてよいのではないでしょうか。 > > 「手記」というのは記者の解釈らしく、どうやら甲79の「上訴申弁書修正案」の最後に「新聞記事の真相」が書かれているということのようです。たくさんの手記のなかにあったので、これも手記として報道されたのではないかと察します。 > > ということは、 > 野田少尉の遺族が、南京裁判関係の資料を集めたときに、いっしょに持ち帰ったものだったのですね。 > > ====(判決文より) > 原告千惠子は,南京軍事裁判の判決文を入手し,「正論」平成12年3月号に「『無実だ!』父の叫びが聞こえる 南京戦百人斬りの虚報で処刑された向井少尉次女が慟哭の告白」の中で,向井少尉の獄中手記とともに公表した。また,産経新聞記者の鵜野光博は,「正論」平成13年8月号に「『百人斬り競争』の虚報を証明した野田少尉の手記」を寄稿し,野田少尉の手記を公表した > ==== > http://www.geocities.jp/pipopipo555jp/hanketsuHT-beta/part/p-053.htm > > > しかし、これに書かれていた両少尉と浅見記者との会話の内容は、判決では引用せず省略していますね。これは、裁判官が省略したというよりも、原告側最終弁論でも省略したのではありませんか? といいますのも、争点(2)に対する(原告らの主張)においても、この件の言及の記載がない(薄い?)のです。 > > 原告側弁論と相矛盾する「原告側提出証拠」は、途中で審理から除外したのでしょうか? > > > しかし、この記事を読んで、あらためて原告弁護士のやることはわからんと首をひねります。常州で両将校にあって「百人斬り」の話を聞いた、写真を撮ったという佐藤振壽氏の証言は、この「手記」を覆すことになるのに、なぜ原告は証人申請したのか。わしはこう思ったなどという感想が証拠にならないことは訴訟のイロハ、佐藤氏の証人申請を原告がしたと知ったときは驚きました。実際、判決では被告側の主張の証拠に使われています。原告側の考えていることは、わからん... > > そうですね。 > > (原告側の主張)には、"記者とは常州で会って"、"常州で写真をとった"、と書かれています。これは、佐藤振壽氏の証言に沿っています。しかし、これは南京裁判での両少尉の弁明の否定なのですね。"無錫で会って""無錫で写真を撮った"、という両少尉本人の主張を原告は否定しているのです。そうしておいて原告は、同じ書証に書かれている、"紫金山では会っていない会ったのは麒麟門東方だ"を主張する。 > > 否定と肯定とを区別する根拠はどうなっているんでしょうか? 見当たりません。 > > それに、あれだけ大々的に場外(裁判所の外)で宣伝していた『佐藤振壽証言』が、(原告側の主張)には殆ど反映されていないのです。 > > 判決書中の(原告側の主張)は、『原告側の最終弁論』を反映しているのでしょう? > > だとしたら、 > 原告側弁護人は報告会で勇ましく闘っていながら、法廷では少しも闘わなかったことになります。(その結果、衆議院議員になった---苦笑) > > 法廷をWatchしていた方のご教授をお願いします。 |
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