| 36889 | 返信 | はじめまして。犬笠銀次郎と申します。今度の衆院選について雑感を書いてみました。(以下) | URL | 犬笠銀次郎 | 2005/09/19 13:28 | |
| 毎度同じことを言ってるわけだが、(1) 「皆一緒」に一つに糾合され→(2) トランス状態的に同じ「空気」に酔いしれ→(3) 「唯一極の力あるもの」に追従する→(1) …?これが自分の非難する「田吾作」の行動パターン。(1) により多様な視点を失い→(2) により自分達に同調しない者を排除し→(3) によりローカルに閉じようとし→(1) により…。昨今日本で起こる問題の大半はこの幼稚な「悪循環」によって生ずる諸相である。山形浩生 的なイラク人質事件被害者へのバッシング然り、今度の衆院選の「小泉イメージ戦略」然り、全共闘等の左翼学生運動然り。 近年喧しく憲法改正や国際化が叫ばれているが、それをやるならこの循環から抜け出さなくてはならない。しかし、憲法改正では、「日本の憲法には『国民の義務』が書かれてない」と抜かす阿呆がいる。近代国家で普通、憲法に書くのは「国民の権利」と「国家の義務」だけ。「国民の義務」と「国家の権利」は法律以下の法規で決める。そして、憲法を最高法規にして、「(国民権力)>(国家権力)」とし民主主義を成立させる。この国家システムの基本を理解できない田吾作の脳味噌は「改正」しなくて良いのか? 「権利」と「義務」の概念についても、「『義務』を果たした者にだけ『権利』が与えられる」等と言う連中がいる。どうやら彼らにとって「権利」とは「選ばれし者にのみ天から舞い降りて来る神秘的なもの」らしい。現実世界と RPG を取り違えたか。(笑)その説では「自然権」の概念が説明不能。「何人も任意に『権利』は持つが、その『権利』の行使に際し、それに付随する『義務』が存在し、その『義務』を果たせる範囲なら『権利』が行使できる」が正しい。要はε‐δ論法と同じだ。「自由」と「責任」の概念も同じ論法を使う。子供に大人並みの「自由」が許されないのは、「子供に『自由』は許されないから」ではない。「子供は大人ほど『責任』が負えないから」だ。「子供に『自由』は許されない」なら、子供の権利条約の国連での採択はどう説明するのか? 国際化に関しても、欧米人への「憧れ」から英語学習は盛んだが、ことが脱北者などの難民問題になると「『よそもの』が自分の近所に来るのは許さーん!」となる。欧米人は「よそもの」とちゃうんかい。(笑)日本を国際化したら、周りは「よそもの」や「知らない人」だらけになる。「『つう』と『かあ』」的な従来のコミュニケーション作法は全く通用しない。英語さえ喋れれば良いわけではない。同じ前提を共有しない相手への表現能力向上のための "show and tell" のような訓練を小学生からやるべきだ。ところが、日本では左様な訓練も無しに、高校から急に「レポート書け」と来る。当然書き方も知らない彼らの多くは、文献の丸写し程度しか出来なくなる。しかし、それをやると一部の馬鹿教員が「こんなの駄目だ!」と恫喝する。駄目なのはお前じゃ。(笑) こんな (1)→(2)→(3)→(1)→… 的な「『勝ち馬』に乗りたがる」馬鹿っぷりを日本人は永遠に続けるのだろうか。そのヘイポー並みの薄っぺらさが「憧れ」の欧米で「物笑いの種」となるのは避けられまい。そして、一日本人である俺もその煽りを喰らう羽目になる。しかし俺は、さっさと見切りをつけて海外へ脱出しようとも思わない。まだチャンスはある。表向きは「孤独な弱者」として田吾作どもに凌辱されつつ、影では「無名な評論家」として発言し、この最下級の低い民度を国際化社会で「一人前」にやっていけるレベルにまで引き上げる。その「『親心』に似た日本への愛情」?それが俺の「愛国心」だ。:-) |
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