37009 | 返信 | Re:とほほさまへ(B.C級戦犯) | URL | 五番街 | 2005/09/26 04:30 | |
それは論点視点が異なるのではないですか? 「ポツダム宣言をどう評価すべきなのか」と「ポツダム宣言はこう評価できる」という問題は全然違う問題です。 正に五番街さんの言うところの右派論客の言うとおりに戦後政権は運営されてきたのであるが、これを持ってポツダム宣言の 正しい解釈とはいえない。と言う事です。 正直に言いまして、とほほさんの多くのコメントは私にとって非常に理解しづらいもので、何が言いたいのか分からない場合が多くあります。 今回もその例に漏れず、残念ですが、このコメントで何を言いたいのかよく分かりませんし、提示していただいた引用文も、とほほさんの コメントと、どんな関係があるのか理解できません。 私が前回の投稿で質問したことは次の通りです。 ======================================================================= それで、念のために、とほほさんにお尋ねしますが、【ポツダム宣言そのものが『無条件降伏』ではない】という 考え方とは、ポツダム宣言にはいくつかの条件が提示されているから、この宣言を受諾した日本は無条件降伏した のではない、ということでしょうか? もしそうではないのなら、詳しく説明して下さい。 さて、では、この視点から見て、これらの二つの裁判はどのような違いがあるのでしょうか? ============================================== 今回のとほほさんが提示した引用文を読むと、日本は天皇の地位を維持することに成功したから、無条件降伏ではない、と、とほほさんが 主張しているのではないか、と思うのですが、それが、いったい【ポツダム宣言そのものが『無条件降伏』ではない】という、とほほさんの 以前のコメントとどんな関係にあるのですか? ポツダム宣言に関する当時の日本の理解の仕方と、米国の回答を次にあげます。 > 右宣言(注:ポツダム宣言)は天皇の国家統治の大権を変更するの要求を、包含しおらざることとの了解のもとに、これを受諾す。 >帝国政府は右了解にして誤りなきを信じ、本件に関する明確なる意向が速やかに表示されんことを切望す。 (秘録 東京裁判 清瀬一郎著 中公文庫) つまり、ポツダム宣言には、天皇制度の廃止が盛り込まれていないと日本政府は理解している。このことをもって、日本政府は同宣言を受諾するが、 この理解の仕方が正しいことを明示して欲しい、ということですね。 それに対して、米国は次のように回答しています。 >降伏の時より天皇および日本国政府の国家統治の権限は降伏条項実施のため、その必要とする措置をとる連合国最高司令官の制限の >もとにおかれるものとす。日本国の最終的な政治形態は、ポツダム宣言にしたがい、日本国国民の自由に表明する意思により >決定せられるものとす。(同) まず第一に、日本は、ポツダム宣言の理解・解釈を述べたものでり、条件の提示はありません。そして、米国の回答では、天皇および日本政府は 連合国最高司令官に従属すると述べられているに過ぎず、この解釈を肯定するものでも、否定するものでもありません。この回答からすれば、 「降伏条項実施」のため、天皇制の廃止を決定することも可能です。 ところが、この回答を日本政府は【天皇は日本国占領中、最高司令官の下にあるとは言いながら、その存在を認めたうえの条件であるから、 やはり天皇制それ自身の存在を承認したという趣旨である】(同)と、自分勝手に解釈し、ポツダム宣言を受諾しました。 このように、日本が天皇不訴追や天皇制の維持を条件としてポツダム宣言を受諾した、とか、日本は有条件降伏であるという主張は誤りと いわなければなりません。日本が、この米国の回答によって天皇制が廃止される可能性があると考えたならば、日本は同宣言の受諾を拒否し、 戦争を継続するという、泥沼の選択を行うことになります。しかし、日本は、戦争を終了するという強い希望を実現するために、この回答を 「天皇制を承認するという趣旨」という、願望を塗り込めた解釈を行ったものにすぎません。 さらに、東京裁判とニュルンベルグ裁判の違いに関しては、ご説明がありませんね。 そこで、私の考えを述べたいと思います。 まず、ドイツが「無条件降伏」したという、とほほさんの主張についてです。 東京裁判の主席弁護人であった清瀬一郎は次のように書いています。 >ドイツとわが国とは、降伏の仕方がちがっている。ドイツは最後まで抵抗してヒトラーも戦死し、ゲーリンクも >戦列を離れ、ついに崩壊してまったく文字通りの無条件降伏をしました。それゆえに、ドイツの戦争犯罪人に >対しては、連合国は、もし極端にいうことを許されるならば、裁判をしないで処罰することまでもなしえたかも >わかりませぬ。(秘録 東京裁判 (中公文庫) この引用文は、清瀬の裁判における発言) ヒトラーが戦死したというのは、自殺の間違いですね。ドイツは、ほぼ戦闘能力がゼロに等しい状態まで追い込まれ、ヒトラーが自殺したために、 連合国に対する抵抗を終了し、連合国はドイツを制圧・占領しました。しかし、ヒットラーを失ったドイツは、連合国に対して「降伏」の意思表示を 行っていません。 これは、南京攻防戦で、中国軍司令官が逃亡し、軍が総崩れになって、日本軍が勝利し、南京を制圧したことと似ています。中国軍も南京も 降伏したのではなく、南京が日本軍によって制圧され、占領されたに過ぎません。 ところが、戦争犯罪人の処罰は、降伏の有無、あるいは条件の有無に関わりなく、戦争犯罪人を捕獲した国が行うことが 国際慣習法として定着しています。たとえば、戦争中に捕獲したドーリットル爆撃の搭乗員を捕獲した日本が、彼らを 戦犯として処罰したことが、その実例です。 さらに重要な問題は、清瀬は「無条件降伏」の場合は、裁判なしで戦犯を処罰することも可能と考えていることです。 この因果関係がまったく理解できませんが、13世紀のマグナ・カルタ以来、裁判なしの処罰の禁止が考え方は定着しており、 もし、それが実行されたならば、処罰を行った者が不当な処罰として、犯罪に問われます。 つまり、清瀬の主張は、この基本的な近代社会の原則を理解していないことが原因としか思われません。当時の日本では、このような 無法の思想が存在し、それが、南京大虐殺などを引き起こした要因になっていたのじゃないか、とさえ考えてしまいます。 このように、無条件降伏と戦犯の処罰とは、相互関連はありません。ただし、降伏条件に、免罪規定が設けられたのならば、この限りでは ありませんが、ポツダム宣言にはそのような条項は存在しません。したがって、ポツダム宣言と天皇不訴追との決定には、相互関連は ありません。 つぎに移ります。 >あー、なるほどそうですよね、そう言う見方をするのであれば訴追されなかったC級戦犯の存在は主張できると言う事でしょうかね。 >各日本企業、731部隊等例を挙げるのにそれほど困難ではないですね。 このコメントも、何が言いたいのかよくわからないのですが、とほほさんは、以前の投稿で【C級犯罪を適用した場合、被告は、その後に 政界などで復活できないために、C級犯罪の適用を除外した】という趣旨の発言を行っています。 むろん、岸信介などの第二次A級戦犯容疑者は開放されたのですから、彼らには、このとほほさんの主張が当てはまらず、当てはまるのは、 東京裁判で有罪判決を受けた被告です。 ですから、私の質問に対しては、東京裁判において、A事件に関してX被告に、C級犯罪を適用すべきであったが、それが行われなかったのは、 自分の主張が正しいからだ、というように回答をしていただきたいのです。 このような回答が行われないのならば、とほほさんの主張は説得力がないものに感じられてしまいます。 私の考えを述べておきます。 東京裁判で、A級以外の罪を問われた被告の一人に松井石根がいます。彼に対して、B級犯罪が適用され、南京大虐殺を防止すべき義務を 果たさなかった行為を罪とされて、死刑判決を受けています。この事件は、非人間的な残虐さにおいて、さらに、その規模において 特筆されるものですが、それに対してB級犯罪あるいはC級犯罪が適用されても、この特徴は変わりません。 また、松井石根は、南京大虐殺を命令したのではないのですから、かりにC級犯罪が適用されたとしても、彼自身が、虐殺という非人間的行為を 行ったとして非難されることはないでしょう。そして、仮に彼が死刑判決ではなく、有期刑を受けた場合、社会復帰を果たしても、 たとえば殺人犯を見るような見方はされないと思います。 それに対して、南京大虐殺の命令を下した現地の司令官レベルの軍人は、仮に裁判にかけられ、有罪判決を受け、その後に出所した場合、 B級犯罪あるいはC級犯罪を問わず、大量殺人の命令者・実行者として、厳しい視線にさらされることになると思います。このような戦犯が 政界に進出したり、実業界で指導的位置につくことは困難でしょう。 したがって、問題は、B級犯罪かC級犯罪かという問題ではなく、犯罪の内容です。東京裁判でC級犯罪の適用事例が存在しないのは、 法テクニカルの問題だと思います。(南京大虐殺にC級犯罪が適用されなかったのは、おかしいと思いますが、むろんこの虐殺が見逃された のではなく、B級犯罪が適用されたのですから、これでも悪くはないと思います。) |
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