37049 返信 Re:C級犯罪 URL 烏龍茶 2005/09/28 00:15
タラリさん、こんばんは。レスありがとうございます。

>>>人道に反する罪という、それまでになかった概念によって、責任者を処罰することが適当と考えられた。これは明白な事後法による処罰であったが、必ずしも完全な体系を所有していない国際法しかなかった当時においてはこのような処置が選択されたのは正当であり、国際関係の発展であると私も同意し、評価する。
>>「人道に対する罪」が、必ずしも「全く新しい法概念であって明白な事後法である」か、いささか疑問があります。
>>ハーグ法にすら、すでにマルテンス条項に見られるように「人道」の概念が導入されていますし、それ以後も戦争法の発展につれ、文民の保護などの法体系が充実していく方向にありました。「平和に対する罪」が、言葉としては新しいものの実は不戦条約を含めた戦争禁止の包括的概念であるように、「人道に対する罪」もそれまでの戦争法のうちから人道に対する犯罪の概念をまとめなおした包括的概念であるととらえるべきではないか、と思うのですがいかがでしょうか。
>ハーグ法に「人道」の概念が導入されているとはいっても、それは戦争行為の中での話です。ナチスによるユダヤ人迫害とか、日本による朝鮮人・中国人連行とかは直接、戦争行為の中では行われていません。戦争の時期に同時に虐殺・迫害が行われていた、戦争遂行者が同時に犯罪を犯していた、というに過ぎません。その意味で人道に対する罪というものが国際的な合意の中で形成されていたとは言い難いと推測しています。

法文解釈ではそういうことになるでしょう。たとえば平時の少数民族虐殺などにハーグ法を適用することはできないでしょうね。

しかし、戦時国際法に「人道」という概念が導入されたことの意味は、それとは別にあると思います。
不戦条約などによる「戦争の違法化」は、要するに「平和」というものが、国際法でまもられるべき法益として国際社会に認知されたということでありましょう。
同様に、戦時国際法に人道概念が導入されたということは、国際法によってまもられるべき法益として、きわめて限定的にではありますが「人道」が認知されたことであります。
もちろん、第二次大戦における一般市民や敵国捕虜に対する大規模な残虐行為は、法の予見するところではなかったからこそ、戦後に「人道に対する罪」が新たにもうけられたわけです。しかし、そもそも「人道は法益である」という基本の概念すらなかったら、人道に対する罪、があり得たかどうか。先の投稿で「必ずしも全く新しい事後法と言えるか疑問」と述べたのは、そういう理由によります。

>そして、B級は国際法によってすでに規定されていたのでこれは問題ない。A級は不戦条約の違反者に対する処罰、処置のあり方については未定であったとしても、禁止がうたわれていた以上、事後法による処罰をしたとしても国際法の発展過程として理解できる。
その通りと思います。

>C級犯罪は戦争犯罪ではなく、自国あるいは占領地における統治者の不法行為、暴走であり、これを律する国際的な合意や規定は従来なかったのではないでしょうか。
たとえばアメリカが国内に於いてインディアンを大量虐殺したとして、それが国際法上の犯罪に問えたか、といえば、現代はともかく二次大戦当時には問えなかったと思います。

>とすれば、C級犯罪の概念によって裁判し、処罰することには一定の歯止めがあるべきである、と思います。
具体的に、どのような歯止めがあり得るとお考えになりますか?

> C級犯罪が措定された理由やはり、スケールが大きかったことが含まれることは否めないと思います。まず、被害者数が多く、また被害を受けた国の範囲はドイツの占領地全域(それらは連合国である)にまたがっていた。この未曾有の犯罪を既存の国際法規定がないからといって放置することは許されない、連合国首脳がこう考えたのは当然であると思います。
要するに「前例のないほど大規模に国際法益である人道が犯された」から、犯罪として訴追するべきである、と聯合国は考えたのではないか、ということですよね。
しかし、だとすればどれほどの規模であれば「大規模である」と言い得るのか、という問題が生じないでしょうか。つまり、一定の歯止めが必要であると主張されるわけですし(私も歯止め自体は必要だと思いますが)、処罰するその基準(の一つ)が規模にあるとされるわけですから、この点が明確にならないといけないのではないでしょうか。

私は、歯止めとは「国際合意」しかないのではないかと思います。

> 南京大虐殺は戦争中の行為であり、敵国軍隊によってなされた行為ですから、戦時国際法の規定で裁かれたことは当然です。南京大虐殺に対して、B級とC級の罪名もつけるというのは同一の犯罪内容を二つの罪名で裁くということですから、意味がありません。
南京大虐殺で行われた個々の残虐行為を、通例の戦争犯罪として裁くか、あるいは人道に対する罪であるとして裁くか、は、つまるところ南京で行われた残虐行為をどのような概念で評価するか、につきると思います。

たとえば「捕虜の殺害」はハーグ法違反ですから、ふつうに考えれば通例の戦争犯罪となるでしょう。
しかし、殺害の理由が(乱暴にいえば)「食べ物がないから」「移送するのが面倒くさいから」であって、かつ山田支隊の虐殺のように、とりかこんで機関銃で乱射して、生き残りは銃剣でさしてガソリンかけて皆殺しにした、などという行為を、あるいは「据えもの斬り」「試し斬り」などという、要するに快楽殺人でしかない行為を、「捕虜の殺害」という言葉で評価するのが果たして正しい判決、といえるのか、私は疑問を感じざるを得ません。

>C級犯罪がある国で起こったとして、それを直ちに国際社会が裁くという仕組みはいまだありません。たとえばカンボジアでポルポト政権が虐殺をしたケースは、どの国もカンボジアと戦って負かしたわけではありません。たとえ、ベトナムがカンボジアと戦って勝ったからといって、ポルポト政権の首脳をC級犯罪で裁けるものでもありません。
ええと、旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷ではいわゆるC級に相当する犯罪としてユーゴスラビア領域内で行われた民族浄化をはじめとする行為が裁かれています。
ルワンダでも同様に人道に対する罪が裁かれていますね。

もっとも、大国は裁かれない、という点でははなはだ不十分なわけですが。たとえばイラクのファールジャで米軍によって行われた虐殺行為は、十分人道に対する罪、に相当すると思いますが、これをもって責任者のブッシュが裁かれる、ということはなさそうです。