37073 返信 Re:C級犯罪 URL タラリ 2005/09/29 16:28
五番街さんへ。事実の提供と貴重な議論ありがとうございます。

>
> >ハーグ法に「人道」の概念が導入されているとはいっても、それは戦争行為の中での話です。ナチスによるユダヤ人迫害とか、日本による朝鮮人・中国人連行とかは直接、戦争行為の中では行われていません。戦争の時期に同時に虐殺・迫害が行われていた、戦争遂行者が同時に犯罪を犯していた、というに過ぎません。その意味で人道に対する罪というものが国際的な合意の中で形成されていたとは言い難いと推測しています。(タラリさん)

>
>
> ハーグ法のマルテンス条項の趣旨を私なりにまとめると<ハーグ法から漏れた慣習法によって犯罪とされる行為、さらに人道に反する行為および良心に反する行為も戦争犯罪とする>となると思います。

マルテンス条項
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
一層完備したる戦争法規に関する法典の制定せらるるに至る迄は、締約国は、其の採用したる条規に含まれさる場合に於ても、人民及交戦者か依然文明国の間に存立する慣習、人道の法則及公共良心の要求より生する国際法の原則の保護及支配の下に立つことを確認するを以て適当と認む。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「一層完備したる戦争法規に関する法典の制定せらるるに至る迄は」ではじまる以上、これは人道に対する罪一般の規定ではなく、戦争行為に対して人道の法則、公共良心の要求に従って行動、判断するようにいっそう求めていると理解できます。

> そして、藤田は、ニュルンベルグ裁判における人道に対する罪の背景として、1915年のトルコでのアルメニア住民の虐殺に関する仏・英・ロシア政府の宣言で「人道に対する罪」ということばが使われたこと、さらに、1942年にヨーロッパの諸国連合がセント・ジェームス宣言を採択して、ナチ・ドイツの一般住民に対する人種的・種族的または宗教的所属を理由とする迫害から殲滅にいたる犯罪の責任者の処罰を求めたことを指摘しています。

セント・ジェームス宣言は条約の形はとっていないし、国の数が少ないのでC級犯罪の骨格としては不戦条約の骨格と比べても立ち後れていると言えるでしょう。

> それはともあれ、ニュルンベルグ裁判での「人道に対する罪」は、セント・ジェームス宣言をベースとして、当時に知られていたドイツのユダヤ人あるいはロマ民族に対する迫害・殲滅を戦争犯罪とみなしたものと考えることが出来ると思います。じっさいには、これらの2つの民族以外に、ポーランド、ソ連およびチェコスロバキアの市民を対象とする同様な行為にも適用されています。
>
> 同書では、この人道の罪の特徴として次の要素を上げています。
> 1. 「戦前または戦争中」
> 2. 「全ての一般住民」を対象とする
> 3. 「犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とにかかわらず」
>
> 私は、それに加えて、4.「政治的・人種的または宗教的理由にもとづく」も、その特徴に加えるべきであると思います。

> また、この犯罪が、平和に対する罪および通例の戦争犯罪に関連することも条件に加えられます。これは、同裁判が、戦争犯罪を裁くという観点から、もたらされたものであろうと考えられます。(ちなみに、1945年12月の連合国ドイツ管理委員会の、同管理委員会法律第10号では、戦争犯罪に関連するという条件が除かれ、人道に対する罪の概念が拡大されています。)
>
> これらの特徴の中で、「全ての一般住民」の意味は、自国あるいは交戦国の市民を問わず、また、戦争中、あるいは占領下、占領地の隣接国、交戦国の軍隊が駐留する他国の住民を対象とするということです。ハーグ法には、戦闘地および占領地における住民の虐待・殺害などを禁止する項目はありませんが、それらは慣習法によって禁止されていたと考えるべきでしょう。そうすると、この定義での特徴は、自国民および占領地以外の土地の住民を対象とすることが新しい点になります。

ハーグ陸戦規定の52条がC級にかなり近いようです。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
占領軍の必要性を除いて徴発または労役を占領地の住民または自治体に課してはならない。それらはその国の資源に比例的でなければならず、自国に敵対する軍事作戦に関与しない性格のものに限定される。
これらの徴発と労役はその地区を占領した軍司令官の権限によりのみ課される。
あらゆる寄与にたいし金銭をもって支払いがなされる。そうでない場合は金銭によって計測された受領証が発行される。http://ww1.m78.com/topix-2/hague.html
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「占領軍の必要性」とか、「軍事作戦に関与しない正確に限定される」「軍司令官の権限」などの文言は逆に戦時を念頭において作られていることを強く示唆しています。逆に言えば非常に長期にわたった占領軍政中、または傀儡政権樹立後に一般住民を虐待・虐殺するような事態は予想していなかったと考えられます。すなわち、戦争継続中ではあっても、当該地域は戦時と考えられず、直接の軍事上の必要がないという状態です。

新しい定義には自国民および、長期の被占領地区または傀儡政権が樹立された国の国民に拡張されたということにならないでしょうか。

> このような諸条件を満たす犯罪が、ユダヤ人などの特定の民族、国籍者に対する迫害・虐殺であり、適用範囲が限られることになります。これは、もともとこの人道に対する罪が、当時明らかであったユダヤ人などに対する迫害・虐殺に焦点をおいているためであろうと考えられます。
>
> 極東軍事裁判所条例では、人道に対する罪は、次の特徴があります。
> 1. 「戦前または戦争中」
> 2.
> 3. 「犯罪の行われた国の国内法に違反すると否とにかかわらず」
>
> この条例の定義では、ニュルンベルグ裁判での第2項の「全ての一般住民」を対象とする、が除かれ、さらに私が挙げた4.「政治的・人種的または宗教的理由にもとづく」のなかで、「宗教的理由」が除かれています。
>
> 藤田は、「全ての一般住民」が除かれていることを指摘した後に、【東京裁判の起訴状は、日本領土で日本国民に対して犯された犯罪を理由に日本の主要戦争犯罪人を告訴せず、日本国民以外の人に対して犯された犯罪に限定した】と述べています。藤田は、「全ての一般住民」の除去によって、人道に対する罪の適用が「日本国民以外の人」に限定されると明確に述べているのではないけれど、それを示唆していると受け止められると思います。
>
> どうも、この点が私にはよくわかりません。「全ての一般住民」の意味が、「自国民を含む全ての一般住民」ということだと考えても、これを除去した場合には、その対象が不明確になるのだから、たとえば「軍隊構成員および一般住民」というように、拡大しているとも受け止められます。

藤田氏の解釈でいいのでは? つまりドイツでは自国民であるユダヤ人が虐殺対象になったが、日本では日本人自国民は虐殺・虐待の対象とはならなかったということで除かれたのではないでしょうか。「軍隊構成員」とはすなわち敵国軍隊のことでしょうから、これはハーグ法で規定済みと見なせますので、「軍隊構成員および一般住民」という方向の拡張はないでしょう。

> 同様に、共産主義に対する弾圧や大本教に対する弾圧のような思想の弾圧にしても、侵略戦争の実行の目的あるいはそれに関連して行われたという側面がある一方で、当時の日本の体制を転覆させる思想を弾圧するという意味からしても、人道に対する罪を適合するには無理がある思います。

セントジェームズ宣言はユダヤ人の迫害から「人種的・種族的または宗教的所属を理由とする迫害から殲滅にいたる犯罪」を定義してC級犯罪が考えられたわけで、おそらく、ユダヤ人圧迫に並ぶような包括的、持続的迫害または虐殺を想定したと思われます。しかし、それがどこまでの範囲をカバーする概念かは決まっていなかったと思われます。

C級犯罪は戦争犯罪というよりは(非戦時の)国家犯罪です。最大の問題は、国家主権で行われる不正義はどの程度他国が、あるいは国際社会が許せるか、ということです。戦争状態で行われることについては国家主権と国家主権の衝突の途上であり、互いに交戦相手国の主権を侵害して、相手国の「不正義」を糺すということは現実的です。しかし、交戦関係にないときは主権国家が独自の立場で国内行政を行う中での種々の人権抑圧をひき起こしたとしても、これを直ちに他国や他の国の連合、もしくは国際機関が阻止したり、責任者を訴追するという伝統はいまだ完成されていません。

したがって、交戦関係にある国の国家犯罪のうち、戦争に直接関係したものはB級犯罪としてこれを裁き、それで裁くのが適当でない犯罪をC級犯罪とするのが適当なのではないでしょうか。

> 南京大虐殺は、この「日本国民以外の人」が被害者であるという特徴は、東京裁判でのC級犯罪の規定の一つに合致するものですが、反面では、中国人のみが被害者であったからといって、ユダヤ人やロマ民族のように、特定の人種・民族をターゲットにしたものとは言えません。また、この事件は、いうまでもなく戦中に起こったもので、戦前から同様な犯罪が継続していたものではありません。さらに、ドイツはユダヤ人を迫害するために法の制定によってこの犯罪を正当化していましたが、むろん日本では、このような法律は存在しませんでした。

特定の人種・民族をターゲットにしたものというよりは日本の侵略戦争や支配に反対していると受けとられた中国人だけが虐殺されたわけで、その受け取り方が如何に根拠がなく、虐殺対象が広範に及んだとしても、これは通例の戦争犯罪の枠で裁くことができます。
日本の傀儡親日政権が樹立された後には組織的な虐殺は完全になくなりました。(個々の日本兵による残虐行為はあったかもしれませんが)。この点がナチスドイツによる虐殺と違うところでナチスの場合は傀儡政権が樹立されてからが本番なのです。

> 日本社会における中国人蔑視の承認が指揮官や兵士を大虐殺に駆り立てた心理的要因となっていることを考えれば、C級犯罪との強い類縁性があると言えます。

ある人種・国民について無差別、制限なく皆殺しにするというのが、最も重大なC級犯罪と言えます。南京大虐殺も一定期間、ある地域ではそれに近いような様相を呈していますが、ほとんどの日本兵の意識の中では「戦闘行為」として認識されていますので、危険が感じられなくなった時点で虐殺は終息しています。親日中国人は保護するのが政策であり、建前でもありました。

この部分では、ナチスによるユダヤ人虐殺、アルメニアの虐殺、ルアンダの虐殺と違います。カンボジアの虐殺の場合はポルポト派の基準に従えば殺されないこという建前でしたが、もともとその基準で生きていてはならない階層も多数あり、守るべき行動基準が厳しすぎて守りきれないため制限のない、無差別の虐殺になりました。

南京大虐殺はスケールとしては大量だったものの、無差別性、無制限という性格が軍事的条件の変化ですぐに薄れたという点ではB級で裁いても問題のない事件であったと思います。

C級で裁かれなかったということを問題視するよりは、B級犯罪の内容を明らかにして誰にどの程度の責任があったかを確認することの方が肝心ではなかったかと思います。南京法廷は迫り来る人民解放軍の脅威のもとで拙速に行われたのでやむを得なかったとはいえ、十分に解明されたとはいえません。

南京法廷ではたった四人の死刑判決があり、その中で第六師団の谷寿夫師団長は南京大虐殺の責任を一身に負わされた感がありました。彼は最終的に虐殺の責任を認めながらも、法廷は参謀長クラスや他の師団長クラスをすべてを喚問し、事件の総体を明らかにすべきではなかったか、と指摘しました。これには、むろん、私よりもっと責任が重いものもいたはず、と言外の意味も含んでいますが、これは決して言い訳や責任逃れのためだけではありません。誰がどの程度責任を負うべきであったかを明らかにした上で自分自身の責任もとりたい、と表明したのです。

> ユーゴスラビアなどで戦争ではない状態の民族浄化は、戦争の遂行あるいはそれとの関連が削除された1945年12月の連合国ドイツ管理委員会の、同管理委員会法律第10号の「人道に対する罪」の定義に当てはまります。

セルビア人による対クロアチア人、アルバニア人の民族浄化は西側マスコミが作り出したデマであることを明らかにした本があります。私にとって非常に興味深い発見でした。
木下和寛著『メディアは戦争にどうかかわってきたか」朝日選書