ISA

ニューヨークで開かれているISA(International Studies Association)に参加。全4日の日程のうち、最初の2日間しか出席できなかったが、初日にポスター発表、2日目にパネル発表をこなした。

ポスター発表はたぶん初めてやった。多少不安があったが、グーグルで指定の大きさに合ったフォーマットのパワーポイントをダウンロードして、コンテンツを埋めて、キンコーズに持ち込んで印刷してもらった。かなりの大筒を持って飛行機に乗らなくてはいけなかった。案の定、開けて中身をチェックされたらしい。

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普通、ポスターは学会の間ずっと掲示されていて、指定時間にポスターの前に立って説明するというスタイルだが、ISAではポスター発表はまだ実験段階のようで、指定時間だけ掲示して、そこに立っていれば良い。指定時間が終わったらはがしてしまい、掲示板は次のポスター発表に使われる。

実際に始まるまでは、1時間45分は長い気がしたが、やってみると割とすぐに終わってしまった。インテリジェンスに関連する発表だったのだが、Fのビューローに17年いたとか、Cのエージェンシーに35年いたとか強者がいろいろ現れて、私の研究発表をするよりも、こちらからインタビューする感じになって、けっこう楽しかったし、いろいろ聞けて良かった。それと、ポスター発表になれていない人が多いらしく、「ポスター発表ってどうやるの?」と後でポスター発表する人から質問を何回か受けた。

翌日のパネル発表はサイバーテロに関して。日本の国際政治学会もそうだけど、ISAもまだパワーポイントを使う文化が無くて、わざわざホテルと交渉しないとプロジェクターを持ってきてくれなかった。実際、3人のパネリストのうち使ったのは私だけ。

そもそも5人のパネリストがいたのだが、2人がドタキャン。国際学会はno showが多い。私以外の二人はヨーロッパの大学の同僚同士なので、何となく分が悪い。二人はお互いの研究をよく知っているからリファーしながら発表している。しかし、ヨーロッパの人は飾りっ気なしで、とうとうと話すスタイルがいまだ主流のようだ。

サイバーテロについてのパネルといいつつ、あまり中身の話はなくて、聞いている人は若干つまらなかったのではないかと思う。他の二人のうち一人は予告と違う内容で、テロリスト系ウェブサイトの静的な分析、もう一人はYouTubeでテロに関するどんなメッセージが流されているかという話だった。欠席した一人はペーパーだけ出したのだけど、彼の結論はサイバーテロはただのハイプだというもの。それはちょっと言い過ぎで賛成できない。現に起きているわけだし、使われる技術は核兵器と比べたら実に簡単でどこでも手にはいる(だから軽視されているともいえる)。

ま、私の発表はやはり準備不足の感は否めないが、まあまあだろう。終わった後にポーランドの先生から自分が編集している雑誌に載せるからペーパーを送ってくれと頼まれた。ちょっとうれしい。

今回の大きな収穫は、実積寿也先生の紹介で福田充先生とお知り合いになれたこと。地元ニューヨークのコロンビア大学で在外研究をされている(実積先生もコロンビア大学にいらしたがすでに帰国)。研究の関心が重なる部分もあり、大いに刺激を受ける。私のプレゼン中の写真まで撮っていただいた。

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7月以来のニューヨークはやはり楽しい。寒い季節のニューヨークのほうが良いと思う。

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やめるための見きわめ

研究のための時間が足りない。予定していたことは全部できそうにないことがほぼはっきりしてきた。だから、取捨選択をしなくてはいけなくなっている。

そこで、ケンブリッジ界隈でちょっと話題になっているらしいSeth GodinのThe Dipを読む。薄い本なのですぐ読める。dipという言葉はいろいろな意味があるが(例えば、「能なし」という意味もある)、たぶんここでは「くぼみ」というのが一番良いだろう。

新しい仕事やプロジェクトを始めると最初はうきうきしている。新しい研究テーマに取り組むときもそうだ。しかし、しばらくすると行き詰まる。このままで良いのか。ちゃんと終わるのか。意味があるのか。悶々とし始める。この状態がdipである。

選択肢は二つ。頑張って続けるか、やめるか。Godinは「やめろ」という。とっととやめるのが賢い。一流の人はそもそもそんな仕事は始めもしない。一流になれないと分かったら手を出さない、手を出してしまっていても一流になれないと分かったらすぐやめろという。

普通は、成果が出るまであきらめるな、頑張れ、というところだ。Godinはそれはバッド・アドバイスだという。

仕事やプロジェクトには三つのパターンがある。努力をしていると最初のうちは容易に成果が上がる。しかし、そのうち成果が上がらなくなり、くぼみにおちこむ。あるいは壁にぶち当たる。その壁を乗り越えると多大な成果が手にはいる。これがDipのパターン。

二つ目のパターンは、Cul-de-Sac(袋小路)。努力を続けてもたいした成果が上がらない状態がずっと続いて袋小路に至る。

三つ目のパターンは、Cliff(断崖絶壁)。最初は努力の分が報われるが、そのうち成果は全く上がらなくなり、奈落の底に落ちる。

ここの図が分かりやすい。

http://www.lifeevolver.com/strategic-quitting/

Godinは、自分がやろうとしている仕事、やっている仕事が、この三つのうちどれなのかを見きわめろという。Cul-de-SacあるいはCliffであると分かった瞬間に「やめろ」というわけだ。

そして、それがDipであり、自分が乗り越えるべき壁にぶち当たっているなら、やめてはいけない。くぼみから抜けだし、壁を乗り越えたときに報酬が待っている。オバマが得た報酬は実に大きい。

凡人は、壁を前にしてやる気をなくし、やめてしまう。逆に、Cul-de-SacやCliffにしがみついている。見きわめがついていない。

卒論、修論、博論を書くのもこれと同じ。やめれば良いのになあというテーマにしがみついている人や、もう一踏ん張りすれば良い成果が出るのにあきらめてコロコロとテーマを変えてしまう人。

なんで学位くれないのですかという人がいるが、課題を乗り越えているのかもう一度考え直すべき場合が多い。簡単に手に入るものは意味がない。Godinも言っているように、落ちこぼれる人、やめる人がいるからこそ、資格には価値が出る。誰でもMBAやロースクールを簡単に出られるなら、多大な努力と投資をする意味はない。簡単にとれるものにありがたみはない。もっと意地悪な言い方をすれば、すでに学位を持っている人たちにとって仲間は少ない方が良い。だから、試練をちゃんとくぐり抜けた人にしか学位は出せない。

Dipから抜け出ることをゲームのように楽しめる人は強い。イライラしているとバンカーはいつまでたっても抜けられない(ゴルフをしたことはないけど)。早く抜け出る方法はあるはず。学術でもスポーツでもビジネスでも、努力を惜しまない、努力を努力と思わない人がDipを抜けられる。楽しければ簡単に感じられるだろう。楽しいと思えないものに努力は傾けられない。

Godinによれば、一流の人は自分がthe best in the worldになれるテーマに集中し、なれないものは戦略的にやめてしまう。簡単にやめられる人が一流になれる。やめてばっかりだと嫌われるかもしれないけどね。

自分を振り返ってみると、やったことを後悔している仕事・プロジェクトもある。見きわめができてなかった。ちょっとシニアの同僚から、帰国したら人のために使う時間を増やしなさいと言われている。そのためには仕事の棚卸しをして、集中すべき仕事の見きわめをしなくてはいけない。しかし、時間がもっと欲しいなあ。

観光気分の東京

12月5日に慶應の三田キャンパスで開かれたシンポジウムに参加するため、一時帰国。3月24日に渡米して以来なので、約8ヵ月ぶりの日本である。成田空港に着くと、まず暑いと思った。だいたいボストンの最高気温が東京の最低気温ぐらいなので仕方ない。成田エクスプレスに乗って品川に着くと、人が多い。歩けない。こんなところを毎日平気で歩いていたのかと思うと不思議だ。

シンポジウムの最中は時差ぼけで眠ってしまうのではないかと思ったが、思いの外、目は覚めていて楽しめた。翌日、オバマ次期大統領がインフラストラクチャへの大規模投資を発表して、我が意を得たりという気分だった。ブロードバンドへの投資も本腰を入れるようだ。

インフラやサービスのレベルを日本を規準にして考えてはいけないのは分かっているが、世界一の先進国だという割にはアメリカはあまりにもお粗末で嘆きたくなる。配達ものが本当にひどくて、指定した日に届かないのは当たり前というのはどうかしていると思う(だったら最初から指定させるべきではないだろう)。パネルの中でアメリカのコンビニの悪口を言ったが、要は物流インフラとそれを支える情報インフラがしっかりしていないので、新鮮な食品をコンビニの店頭に並べるということができない(例えばShintaroさんのブログを参照)。おそらく同じ理由で新鮮な魚がスーパーに並ぶということもない。電車はおんぼろでうるさく、一定の間隔で運行できないので、固まってきたと思ったらずっと来なくなったりもする。飛行機は国際スタンダードでそれなりに定時の運行ができるのだから、電車だってやればできるはずだ。

シンポジウム翌日の土曜日は朝からいくつかの用事を片付ける。春に亡くなった小島朋之前学部長の墓参にようやく行けたのも良かった。いろいろなめぐり合わせで葬儀にも偲ぶ会にも出られなかったので、やっとという思いだ。一緒に行ってくれた同僚の清水唯一朗さんとカツ丼セットを食べられたのも良かった。本物のカツ丼だった。

夜はICPCの合宿へ。さすがに時差ぼけが出てきて、夜通しの議論にはつきあえず残念だったが、議論は大いに盛り上がっていて良かった。この合宿で使った日本橋のホテルは、びっくりするほど狭い部屋のビジネス・ホテルなのだが、大きな風呂があるのはうれしかった。久しぶりに首まで湯につかることができた。やはり外国には長く住めない。私には風呂が必要だ。温泉に行きたい!

驚いたのはこのホテルには外国人旅行者がたくさん泊まっていて、白人の若い女性三人がぞろぞろと浴衣で歩いていたり、夜中に修学旅行生のように廊下で騒いでいたりしたこと。観光地としての東京の人気は上がっているのかなと思う。

翌朝、日本橋の小舟町から東京駅まで歩く。江戸橋の横を通り、日本橋を渡り、永代通りをゆっくり歩いた。日曜日の朝なので人通りは少なく、すがすがしい。振り返るとコレド日本橋に朝日が反射していてきれいだった。今回はホテルに3泊したが、観光気分で東京を見ると予想以上に楽しいなと思い直した。

ボストンはアメリカのスタンダードで言えば都会だけど、東京は桁違いに大きくて、人と文化がぎっしり詰まっている。東京は住むには通勤などが大変だけど、観光客として訪れるにはとても楽しいところなんだろう。東京駅で土産物屋が開くのを待っていたら、友人のNさんに見つかった。こんなにたくさん人がいるのに不思議なものだ。

あっという間に一時帰国は終わり、シカゴまで飛ぶと雪が積もっていた。ここでオバマ次期大統領は政権構想を練っている。さらにボストンまで飛ぶ。この日は雪が降ったそうだがまだここでは積もっていない。

と、ここまで一週間以上前に書いたのだが、ボストンに戻ってきてからあわただしく、そのままにしておいたら、今朝雪が積もった。いよいよ冬が本格化する。

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安楽椅子の学者はもう無理

「安楽椅子の○○学者」という言い方がある。安楽椅子の人類学者など、主にフィールドに出て行くことが想定されている学問分野で、フィールドリサーチをしない学者のことを揶揄していうことが多い。

梅田望夫さんはあえてネットだけで生きる決意をして、アメリカ国内では飛行機に乗らないとどこかで書いていた気がする。すごい実験だと思う一方で、一次資料へのアクセスが不可欠な学者にとっては難しいといわざるをえない。ネットで得た資料だけで論文を書いたら(まだ?)あまり評価されないだろう。

実際、今どきの学者はフィールドワークなしで研究することはできないように思う。文学や音楽であっても、著者や音楽家の背景を知るためにその人たちが生きたところへ行ってみることは理解を大きく促進する。アメリカ文学を研究している人がアメリカへ行ったことがないということが、昔はあったらしいが、今では考えにくい。

私自身も旅は嫌いではないので、機会があれば足を伸ばす。現場を見たり、当事者に話を聞いたり、現物の資料を見ることで得られることは実に大きい。カンファレンスやシンポジウムで聴衆の反応を共有しながら話し手の言葉を追いかけるのもやはり意味がある。私は国際政治学が主たる研究ドメインなので、世界の現場を見ないで国際政治の授業をするのはやはりどこか物足りない気がする。

しかし、来週に迫ったシンポジウムのために一時帰国するのはけっこうしんどい。アメリカでやらなくてはいけないことが山積みなので、総計20分程度しか話をする機会のないパネリストの一人として、往復30時間かけて一時帰国するのは少しやりきれない。シンポジウムでおもしろい話が聞けて、満足できれば良いなと思う。

他にも、ちょうど週末に、情報通信政策研究会議(ICPC)が開かれる(情報通信政策は私の研究のサブドメインだ)。今回、私はアメリカにいるのであまりお手伝いができておらず、その週末もどうしても外せない用事があるのでフル参加は無理だが、顔を出そうと思う。旧知のみなさん、新しい参加者のみなさんと議論できれば、無理して帰る意義も増すだろう(どなたでも参加できますので、申し込みの上、ご参加ください)。時間をもらえれば、夜のBOFでは、アメリカ大統領選挙とネットについて話そうと思う。

しかし、副次的に楽しみにしているのはおいしいものが食べられること。無論、アメリカにもおいしいものがある。ステーキはやはりアメリカのほうがおいしい。ボストンならロブスターをはじめとするシーフードだろう。しかし、もう飽きた。日本のおいしいものが食べたい。

先日、ボストンの日本料理屋に入ってカツ丼を食べた。カツ丼ではなかった。どんぶりの底には大量のご飯が詰め込まれ、その上に、普通のトンカツが乗っかっている。さらにその上に、卵とタマネギをあえたものが乗っかっている。カツ丼の良さはトンカツにだし汁がしみるようにさっと煮込んであるところだろう。料理人に説教してやろうかと思ったが、本物を食べたことがない人には分かるまい。

本物や現場、現物、当事者を知るためには自分が動かなくてはいけない。

今日はサンクスギビングデーだ。外に出ている人が本当に少ない。日本の正月のようだ。今晩は研究所の所長の自宅にお招きをいただいている。本物のサンクスギビングデーを見てこよう。

最後の授業

ボストンの書店に行くと『Last Lecture』という小さな本が並んでいる。前から何となく気になっていたのだが、その内容がYouTubeに載っているのに気がついた。同じ職業の身としてはたくさんのことを考えさせられる。

(ビデオは全部で9本)

彼と私は10歳しか違わない。私に残された時間があと10年だとすれば何をすべきだろう。私の子供の頃からの夢は何だったのだろう。いくつかはすでに実現し、もちろん不可能だと分かったものもある。あいにく、大学の教員になることは子供の頃の夢ではなかった。忘れていた夢を思い出して、できることは実現していかなければ。ひとまず、来年はアフリカに行く。

この人も(子供の頃からの?)夢を実現したのだろう。歯並びの悪い携帯電話のセールスマンがオペラを歌うというが、審査員たちは全く期待していない。彼らの顔がみるみる変わるのが実に愉快だ。

読んでばかり

最近、他の人の文章を読む機会が多い。学生の卒論、修論、博論はもちろん、学会やジャーナルの査読を頼まれることも増えた。コロンビア大学の博士論文の謝辞に入れてもらう光栄にも浴した。別の人がこれから出版する本の原稿にもコメントを求められている。

おそらくこういう仕事をもっとしている人がいると思う。しかし、私の研究テーマはニッチだったので、頼まれることは少なかった。それが増えてきたということは、関連する研究テーマをやっている人が増えてきているということかもしれない。そう思うと、うれしい反面、少し焦りも感じる。ほとんど人のいない荒野でこつこつ開拓していたはずなのに、気がつくと周りに人が増えているという気分だ。

他の人の文章を読むのは、時には苦痛だ。先日読んだ論文は、全28ページのうち、イントロダクションが14ページもあって、どういう構成をしているのかとあきれた。しかし、出版される前の最新の研究に触れられるというのは一種の特権でもあり、こうして研究コミュニティが発展・成熟していくのかとも思う。

しかし、自分の文章を読み直すのが一番苦痛だ。いつまでたってもうまくならない。ゲラの校正をするのが至上の喜びという人もいるらしいが、私は書き散らして忘れてしまいたいタイプなのだろう。

二日前、日本からゲラが届いた。なんと二年前に書いた原稿のゲラだ。このプロジェクトはつぶれたと思っていたのですっかり忘れていたのだが、突然のように動き出した。二年間原稿を遅れさせた執筆者がいるらしい。のんびりした人がいるものだ(あるいは、よほど忙しいのか)。幸い、ほとんどアップデートしなくても使えそうなので、最小限の手直しで返送する。

そういえば、同じく二年前に書いた原稿が、別の本に収録されるらしいが、こちらは出版助成取得に時間がかかっているらしい(同じく原稿出さない人もいるらしい)。学術出版はどうしても時間がかかる。

二つの原稿は重なる部分があって、当時の問題意識を思い起こさせる(ネタがなかったのか)。ボストンでの在外研究も2/3が終わる。この一年の成果はどうなることやら。なかなか筆が進まない。

なんでそんなに書けるんですかと聞かれることがある。もっとたくさん書いている人はいると思うのであまり自分ではそう思わないが、そうしないと気が済まないからだろう。私は自分がこの仕事が好きなのだと思っていたが、こちらの話を読んで、ひょっとすると違うのかもしれないと思い始めた。好きであるより、得意であることのほうが重要だという。私にとっては他の仕事よりこの仕事が得意なのだろう。

大学院に行きたいんですけど、という相談もよく受ける。しかし、勉強が好きなだけ、成績が良いだけでは生き残れない。勉強と研究の違いが分かっていて、研究することに苦痛を感じない人でないとものにならない。まして衰退・縮小する大学業界では生き残りは大変だ。

テレビより安い

まだ暑かったアーカンソーから戻ると、ケンブリッジは秋になっていて、紅葉が始まっていた。近所のスーパーはハロウィーンに向けてどこもカボチャがいっぱいになっている。

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慌ててまだ見に行ってなかったレキシントンの古戦場跡へ紅葉狩りを兼ねて出かける。コンコードと並んでアメリカ独立戦争が始まったところとして知られているが、今はただの原っぱだ。一番興味深かったのは近くに立っているフリー・メイソンの建物。中には入れないようだったが、秘密結社というイメージとは少し遠い。

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近くのNational Heritage Museumをのぞくと、やはりフリー・メイソン関連の展示が充実している。ジョージ・ワシントン初代大統領はじめ革命の志士たちはこの結社に参加していたが、よく分からない組織だ。そして、ボストンの中華街に行くときにいつも前を通るビルが、実はフリー・メイソンのマサチューセッツ本部(グランド・ロッジ)だと知ってもう一度驚いた。エマーソン・カレッジの横に普通に立っていて、確かに変な装飾がされているのだが、風景にとけ込んでしまっている。後日、その前を通ると確かにそこに立っていた。

10月7日、3回目の大統領候補討論会が開かれた。前回よりも静かな戦いだったという印象。タウンホールミーティング形式だが、反応してはいけない聴衆を相手にしてやりにくそうだ。どちらも、過去の記録を見ろという。あいつはこうした、こう言った、過去を見ろという。聞いている方もあまりおもしろくない。この二人は現在のアメリカが有する本当にベストな二人なんだろうか。最高峰のリーダー二人なんだろうか。マケインはやはり年齢を感じさせ。彼が倒れたらペイリンか、という思いは誰にもあるだろう。

数日して旧友がサンフランシスコから来たので、一緒にボストンのダックツアーに乗る。第二次世界大戦時の水陸両用車を使った観光ツアーで、世界中の都市で見られるようになっている。ボストンの場合は当然ながらチャールズ川へどぶんと入る。川の中からMITが見られると期待していたが、そこまでは行ってくれずに引き返してしまったので残念。

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その後、急遽、またもやワシントンDCへ。今回一番おもしろかったのはアメリカ科学者同盟(FAS)というところ。もともとは核兵器が開発されたときに科学者たちがその軍事利用に反対するために組織したようだ(オッペンハイマーの伝記を読むとその辺の事情が分かる)。ここでSteven Aftergood氏が政府の秘密に関するプロジェクトを行っていて、Secrecy Newsというニュース配信を行っている。インテリジェンス・コミュニティの研究をする人には必読だ。

10月15日、3回目の大統領候補討論会はワシントンのホテルで見る。追い込まれたマケインの笑顔がぎこちない。どうも未来を語れないマケインは相手の批判ばかり。目がパチパチしているのが動揺に見えてしまう。しかし、二人ともユーモアがなく、おもしろくない。レーガンは確かに歳をとっていたけど見栄えがするしユーモアのセンスがあった。マケインが議論に口を挟みすぎで、感情を抑えきれなくなっているように見える一方で、オバマはわざと抑制的に話している。オバマは、ヘルスケアの話で、ここぞというときにカメラ目線を使う。毎回作戦を少しずつ変えながら調整しているのがうかがえる。それにしても、マケインは「ジョー」の話にこだわりすぎで説得力を欠いた。CNNで画面の下に出していたグラフでは、見ている人は全く反応していない。いよいよ決まった感がある。副大統領候補討論会を含めて4連勝のオバマが当選しなかったら、アメリカのデモクラシーはうまく機能してないということになるだろう。

ワシントンでは合間に知り合いと食事をしたのが楽しかった。KストリートのSichuan PavilionでYさんとIさんと麻婆豆腐をつつき、OさんとThai Kingdomでグリーン・カレーを楽しむ。もうしばらくワシントンには来られない。

ボストンに戻ってきて空港に降り立つとかなり寒い。すでに最高気温が摂氏8度、最低気温が摂氏2度という日もある。日本の感覚ではすっかり冬だ。先週末はチャールズ川でレガッタをやっていた。きれいに晴れた日で、競争するボートを眺めているのは楽しかった。ボストンの冬空は意外にも見事な快晴続きで、本家のイングランドとは異なるらしい。

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MITのキャンパスを歩きながら、ふと、そうか、オバマは無限の帯域を活用したのかと気づいた。かつての大統領選挙といえばテレビが勝敗を決めた。両陣営ともいまだにネガティブなコマーシャルを流しまくっている。しかしテレビ電波の帯域はものすごく高い。資金力が重要だった。ブロードバンドではオバマ陣営が払うお金は接続料だけだ。あれだけのブログのエントリーを垂れ流しているのだからけっこうな回線接続料だと思うが、テレビよりは安い。前回までの選挙では十分なネット利用者がいなかったが、今回はアメリカでもブロードバンドが普及している(日本から見れば数メガはミドルバンドぐらいだけど)。マケインはそれに全然乗りきれなかった。今回の選挙でテレビが死んだんだ。

しかし、こうやって書いてみると実に当たり前の話だ。それに今頃納得しているなんて疲れている証拠だ。とにかく眠い。

エサが良ければどんな魚でも食いつく

ワシントンから戻って数日で、またアーカンソー州のリトルロックへ。前回カバーできなかった分の資料を探す。旅に出るといろいろな刺激を受けるし、考える時間が取れるのが良い。空港での待ち時間や機内での時間は無駄と言えば無駄だが、なかなか手が付けられない仕事や本に手を出すにはとても良い機会だ。それしか時間をつぶす方法がないようにしておくと、意外に効率的に進む。

今回はジャレド・ダイアモンドの『文明崩壊』(上下)を持参。往路で上巻を読み終える。『銃・病原菌・鉄』のほうがおもしろかったが、この本もおもしろい。グローバリゼーションの負の側面は無視できないとしても、交易がなかったとしたらわれわれの生活はもっと貧しく、悲惨なものであっただろう。そして、環境変化というのも実にくせものだ。石油以前から人類は環境破壊を繰り返し、文明を崩壊させて来ている。ついでに、モンタナに是非とも行きたくなった。モンタナで何か仕事はないものか。

クリントン・ライブラリーで何とか欲しい資料のコピーをとり終えた。前回もそうだったけど、他に誰も閲覧者がいないので、アーキビストとマンツーマンになってしまう。閲覧室は教室のようになっていて、教壇に当たる位置にアーキビストが座り、学生の位置に閲覧者が座る。閲覧者が変なことをしないようにアーキビストが見張っているわけだ。資料を抜き取るなんてことを考える人はいないと思うが、持ち込んだ後に持ち出す白い紙はすべて点検され、スタンプが押される。コピーはとれるが、すべて青い紙にコピーされるので、オリジナルと区別される。

クリントン・ライブラリー

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閲覧室

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ライブラリーの近くにリバー・マーケットという場所がある。こぢんまりとした飲食店街なのだが、一応「マーケット」なので、夕方には閉まってしまう。この裏手には、リトルロックの地名発祥となった小さな岩があるはずなのだが、前回は見つからなかった。今回はと思って駐車場の管理人に聞いてようやく分かった(気がする)。たぶん、この落書きされている寂しげな石のことらしい。しかし、本当かな……。

写真手前にある小さな角張った石がリトルロック?

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木曜日、早めの夕食を取り、ホテルで午後8時(中部時間)から副大統領候補討論会を見る。二人のカメラ目線が気になった。前回はオバマが最初のステートメントでカメラ目線を使い、その後は司会者に向けて話をすることが多かった。マケインはほとんどカメラ目線を使わなかったように思う。今回は、ペイリン(どちらかというと「ペイラン」と私には聞こえる)がほぼずっとカメラ目線だったのに対し、バイデンは最初はカメラ目線を使わなかった。どうしたのかなと思っていたら、バイデンはここぞと言うときにカメラ目線を使って訴えていた。意識的に使い分けていたのだろうか。

バイデンは顔が怖いけれども、人が良いみたいで、ペイリンが言うことに頷いたり、笑ったりしてしまって、どうなのかなあと思ったが、CNNの画面の下に出ていた印象度のプラス=マイナスのグラフでは、ペイリンよりプラスに触れる幅が大きかったように思う。バイデンは得意の外交になってからは特に説得力が上がった。それに対してペイリンはやはり外交ではあまり説得力がない。国際経験が不足しているのか。答えに詰まっているように見えることも何度かあった。司会者に問い詰められた同性愛結婚でも、(マケインが認めているため)ペイリンが同意してしまったのはどうなのだろうか。彼女は強硬な保守派を引き込むためのカードだったのだから、少し含みを持たせた方が良かったのではないかと思う。

ペイリンも「変化はやってくる」と、マケインと同じ言い回しをしているが、「変化」が争点だということを認めてしまったのも疑問だ。相手に引きずられてしまっている。すかさずバイデンは、「根本的な違い」、「根本的な変化」という言葉を使って差を付けようとする。ペイリンも「ミドルクラスのために戦う」というけれども、あれだけバイデンに金持ち優遇だと非難された後だと説得力が弱い。

今回食べておいしかったのはステーキとナマズ。ステーキはクリントン大統領が通ったというDOE’Sという店。ライブラリーからは一本道だが歩くと遠くて疲れた。店内には大統領はじめいろいろな人の写真が飾ってある。写真はランチメニューのTボーンステーキ。ボリュームがすごい。肉は最初からカットされて出てくる。これにサラダが付く。焼き加減はミディアムにしたので表面は焦げているが中はちょうど良い。肉が大きいのでレアやミディアムレアでは中がほとんど生肉に近くなる。アメリカでステーキを食べるときはミディアムがちょうど良いと思うようになった。

DOE’SのTボーンステーキ

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これも割とよく知られているFlying Fishという店のナマズのフライ。あっさりしていておいしい。この店の店内はお客さんが持ち込んだ釣りの写真でいっぱい。ウェイターはいなくて、ファーストフード感覚で好きな席に座って食べられるのも良い。

ナマズとエビのフライのコンボ・セット

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店の入り口には、「エサが良ければどんな魚でも食いつく」と書いてある。なるほどねえ。意味深だ。

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帰りは朝4時に起きて6時の飛行機に乗る。US Airwaysは機内の飲み物が有料になった。カンのソフトドリンクが2ドル、コーヒーが1ドル、アルコールが7ドル。乗る前に買った方が安い。機内で『文明崩壊』の下巻を読む。意外にも徳川時代の育林政策が成功例として紹介してあった。日本は国土の75%が森で覆われており、先進国の中では最も高い。しかし、それは原生林ではなく、一度枯渇しかかった森林資源を徳川幕府のトップダウン政策で回復したものだという。徳川時代を見直す機運が最近高まっているが、こんなところでも紹介されているとは。ただし、現在の日本はアジアやオーストラリアから木材を輸入していて、国内の高い森林資源を持て余している。何かおかしい。

その後の章で中国の話も出てくるのだが、中国は徳川時代の政策をもっと研究すると良いのではないかと思う。今の日本やアメリカを見ても中国の参考にはあまりならない。日本のお上意識は徳川時代に端を発している。その前は下克上の戦国時代もあった。中国が求める秩序ある社会のモデルは徳川時代ではないだろうか。これを研究したいという留学生がいたら大歓迎だ(最近、留学したいという外国人からのコンタクトが多いのはなぜなんだろう。このエサに食いつく留学生はいるかな)。

リンゴのマッキントッシュ

私はアップルのマッキントッシュを使っている。マックはウインドウズよりもproprietaryなシステムだし、軽さ優先でウインドウズのノートパソコンも使っているが、マックだけで済むならそれに越したことはない。

「マッキントッシュ」というのはかねてから変な名前だなと思っていたのだが、単にリンゴの品種なのだということが、スーパーでリンゴを見つけて分かった。ちゃんとウィキペディアにも書いてあった

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軽いマックが欲しいなら、MacBook Airを買えば良いという話だが、アップルの場合、だいたい新しいコンセプトの製品にはトラブルが多い。しかし、MacBook Airの改訂版が来月出るというが流れている。いよいよ検討すべきか。現在使っているパワーブックのハードディスクは残り1ギガとなり、危険水域に入っている。

このエントリーをウインドウズ・パソコンで書いていたところ、2回クラッシュした。すねているらしい。

社会学者と政治学者

全米社会学会はいろいろ用事があってフルに参加できなかったけど、視点の違いが見られておもしろかった。政治社会学者(political sociologist)と政治学者(political scientist)は協力できるのかというパネル・ディスカッションでは、「やってられない」という人と「できるよ」という人がフロアを交えて議論していて、聞いていると苦笑してしまう。

社会学者から見ると政治学者は価値や制度にコミットしすぎているそうだ。例えば、民主主義は良いものだということを前提として議論している。社会学者は良いかどうかの判断はさておいて、人々がどうやってインタラクションしているかに関心があるので、民主主義がどうなっても構わない!

まあ、そうかもしれない。社会学の議論を聞いていると、とっかかりがないという気がする。「それで?」と聞いてみると、「それだけ。それがおもしろい」という答え。

政治学は社会のデザインとか批判ということを重視しているから、自分が依拠する立場に自覚的でありながらも、特定の価値を持つことを躊躇しない。リアリストでもリベラリストでも構わない。立場の違いに過ぎない。

社会学は何でも相対化してみて、自分たちに埋め込まれた価値からできるだけ中立的であろうとするみたいだから、何でもぶった切ろうとするマクロな一般論と、一般化を拒否するミクロな個別論に分かれていて、両者をつなぐ議論がなかなか出てこない。

政治学はアリストテレスまでさかのぼる伝統があるくせに節操が無くて、いろいろな分野から知見や手法を借りてきてしまって恥じるところが全然無い。社会学者は新興勢力だからか、社会学らしさにこだわりつつ、まだそれが誰にもよく分からない。

いずれにせよ、事前登録参加者だけで4900人を超えるという大きな全米社会学会である。優勢な学問分野であることには変わりない。

越境

自分で決めてしまった、あるいは誰かに決められてしまった境界を越えて探検するのは、しんどいものでもあるが、楽しいものでもある。SFCにいると、「自分は○○学者です」と名乗るのはけっこう恥ずかしくなってくる。聞かれると私は「国際政治学者です」と答えているが、他人から見るとそうは見えないかもしれない(総務省関連の仕事が多いし)。最近は大学院のインターリアリティ・プロジェクトで社会学をかじってみたりした(ウェブは全然更新されていないけどね)。

今週末、ボストンで全米社会学会(ASA)が開かれている。二度と全米社会学会に参加する機会なんてなさそうだからと思って参加している。おもしろいことに、「私は社会学者ではありません」と自己申告すると参加料が割引になる。全米政治学会(APSA)並に大きな学会だ(こちらも今月末にボストンで開かれる)。

昨日は、社会学の成果が軍事政策にどうやって応用されているかというテーマのワークショップに参加した。「ミリタリー・ソシオロジー(軍事社会学?)」という言葉は初めて聞いた。国防総省はいろいろな形で社会学者を雇っているようで、軍隊という一つの社会で起きる問題についてアドバイスをしているらしい。しかし、そうした研究成果は敵を利することになる可能性があるということで公開されない。そうした社会学者たちの研究成果は軍の中だけで消化されている。

このワークショップで一番驚いたのは「social network analysis(社会ネットワーク分析)がサダム・フセインを捕まえるのに使われた」という話。なるほど、彼がどこに隠れているかを探すために彼の持っていた社会的ネットワークを分析すれば、誰がかくまっているのかが推測できたのかもしれない。政治学より社会学は役に立っているではないか。

現在のアフガニスタンとイラクでの作戦では、1976年と2006年に発表された社会学の研究が応用されているという。越境するとおもしろい風景を見ることができる。

(考えてみると、SFCでも自衛隊の社会学的研究がけっこう行われている。防衛研究や政治学の研究として自衛隊を取り上げるのもおもしろいが、社会学から見るのもおもしろいだろう。SFCでの先駆的なものとしては、今は一橋大学にいらっしゃる佐藤文香先生の研究だろう。)

MITの先生たち

MITの先生二人と食事に行った。そのうちの一人が本を出したのでそのお祝いも兼ねている。こちらでは200ページの本は薄いと判断されて業績にならないのだそうだ。どうりで300ページとか400ページとかいう本が多いわけだ。

ひとしきり話をした後、あるテーマについて彼ら二人がすごい勢いで議論を始めてしまい、話についていけなくなる。同僚とでも激しく議論をするのだなあと感心。でももちろん人間関係が悪化するわけではなく、最後はハグをして分かれる。

二人のうち一人と私はジャズ・クラブへ。こちらでは夜遊びなんてしないのだが、良い機会なので連れて行ってもらう。ボストンには有名なバークリー音楽大学があり、その界隈にはジャズ・クラブがたくさんある。今回行ったところは、普通のジャズではなくて、ロックに近い激しいドラムとベースがおもしろかった。タングルウッドのクラシックも良いが、こういうのも楽しい。

音楽の合間に、ある有名な先生のうわさ話を聞く。その先生はライバル大学からかなり良い条件で引き抜きのオファーを受けた。ところが、そのオファーがあったことを人に話してしまうのだ。日本だと人事の話は極秘で進められることがほとんどで、途中で漏れると横やりが入ってダメになることが多い。しかし、こちらではわざと公にして、周囲の反応を見る。案の定、その有名な先生は現在の大学の学長から良い条件で慰留のオファーがあり、残ることになった。へええとこれにも感心してしまう。アメリカの大学の教員は給料で差を付けられるからこんなことも可能なのだろう。日本の大学は年齢給と勤続給で決まることが多いから、インセンティブを付けられない。

夜の12時を過ぎて帰宅することに。帰る途中、「明日は寝坊できるの?」と聞くと、「いや、9時から5時のペースで仕事することにしているんだ」とのこと。もうこちらの大学は夏休みに入っているから、ゆっくりできるはずなのに、3人の子供の面倒を見ながら自宅で毎日同じペースで仕事をしているそうだ。おまけに夜遊びも欠かさない。

せっかくの自由なのだからと最近の私は勝手気ままな生活をしている。好きな時間に研究し、眠くなったらひたすら眠る。何にもしない日もある。日本のある有名な先生に生活のリズムを聞いたとき、「リズムは一定してない。好きなときにやるだけだよ」と言っていた。その先生は自宅近くに仕事場を持っていて、そこにベッドもあるので、本当に好きなようにやっているようだった。高齢なのでそんなに睡眠時間が必要ではないらしいし、引退して授業も持っていないからそれで構わないらしい。

そのまねをすべく、好きなようにやっていたのだが、どうも私には合わない。不規則な生活をしていると集中力が持続しないような気がする。調子に乗って徹夜などすると、その後の二、三日は影響が出てしまう。結局のところ、集中できる時間を最大限確保するためには規則正しく、ルーティーンで研究をするほうが良いのかもしれない。ムラのある仕事をするよりも、たぶん毎日少しずつ積み重ねていく方が結果が出るのだろう。

リトルロックにたどり着く

ボストンからワシントンDC経由でアーカンソー州リトルロックへ。ここはビル・クリントンの本拠地だ(ヒラリー・クリントンはなぜかニューヨークが地盤)。

この時期のアメリカは天気が悪く、トルネードやサンダーストームが暴れまくる。ボストン発の便はほぼ定刻に離陸したものの、予定時間になっても着陸しない。ワシントンDCが天候不良でダレス空港に着陸できないのだ。1時間ぐらい旋回し続けた後、ようやく着陸。

乗り換え時間が30分ぐらいしかないので心配だったが、どうせ出発便も遅れているに違いないと思って電光掲示板を確認すると、案の定、1時間遅れ。機内で食べようと持ってきた夕ご飯をコンコースで食べる。しかし、天候悪化で、他のフライトがどんどんキャンセルされていく。私のフライトも遅れていく。

ゲートの前で待っていると、私のフライトの表示が消えてしまった。げっ、アナウンスを聞き逃して飛んでしまったか!と思ったが、しばらくするとまた表示され、元のフライトから4時間遅れになっている。待っている間もどんどん他のフライトがキャンセルされていく。

ワシントンDC市内に近いナショナル空港で一泊するのなら楽しみはいろいろあるが、市内から遠いダレス空港だと何もない。何とか飛んでくれ〜と神頼みをしていると、搭乗のアナウンス。やれやれと乗り込むと、今度は滑走路が大渋滞。ゲートを離れてから離陸するまでに1時間。機長のアナウンスによると、この飛行機はシャーロッツビルに行く予定だったが、リトルロック行きに振り替えたとのこと。そりゃありがたいのだけど、嫌な予感がする。窓の外を見ると、空港職員が飛行機から荷物を引きずり出している。おそらくシャーロッツビル行きのカバンを出しているのだろうけど、リトルロック行きのカバンはどうなっているのだろう。

離陸すると、飛行機は西に向かい、私の席は左の窓側だったのでお月さんがきれいに見える。周りに明るい星も見える。星を見たのは何ヶ月ぶりだろう。ボストンでは夜はほとんど出歩かないので星なんか見ていない。お月さんの下にある雲が時々ぴかっと光る。何事かとじっと見ていると雷だった。積乱雲の固まりの中で雷がぴかっ、ぴかっとやっているわけだ。音が聞こえないので変な感じだ。こんなに雷をじっとみるのも久しぶりだ。写真を撮ろうと思ったが、暗すぎて何も写らない。ビデオで撮っておきたかった。

リトルロックは中部時間なので、ボストンと1時間時差がある。ボストン時間の夜1時、リトルロックの夜12時に着陸。予想通り、カバンは出てこなかった。しかし、予想外は航空会社の職員が誰もいないこと。もう真夜中だもんなあ。みんな帰ってしまった気配である。他にもカバンのない人が10名ほど。関係ないTSA(運輸保安局)職員にみんなで詰め寄ると、航空会社の人を引っ張り出して来てくれた。しかし、私の仕事じゃないわよーという顔をしている。アメリカ的だなあ。ここで怒っていると疲れるだけなので、みんな順番にクレーム用紙を渡していく。

さらに嫌な予感がして、ダッシュで空港の外に出る。最後のタクシーが一台止まっている。と思ったら先客がいた。交渉して相乗りさせてもらうことにした。助かった。リトルロック時間の午前1時にホテル着。荷物はないが、ホテルの人が親切にいろいろ出してくれた。良かった。

おそらく、朝早くボストンを出て、昼にリトルロックに着くフライトならここまでひどいことにはならなかったのではないか。知人と朝ご飯を食べて、家で昼ご飯を食べて、ゆっくり出かけたのが敗因だ。

今日の教訓:田舎に着くときはなるべく早いフライトにせよ。田舎の夜は早い。

リターン

同じアパートに住む先輩日本人夫婦にいろいろ教えてもらう。大笑いしながらも考えさせられたのがアメリカ経済の仕組み。

奥さんが料理教室に参加しようとしたときのこと、「お皿を持ってない」と言ったところ、「お店から借りればいいのよ」とアメリカ人の先生。「???」と思ったけど、よくよく聞いてみると、いったんお店からお皿を買い、料理教室で使ってからきれいに洗って、「やっぱり気に入らないからリターン(返品)」と言ってお店に持っていくのだという。それでお店は全額返してくれる。その商品はまた棚に並べられる。

噂には聞いていたが、本当らしい。

アメフトのスーパーボールの前に大型テレビがすごい勢いで売れる。スーパーボールが終わると、テレビは同じ勢いでリターンされる。販売店は売れれば売れただけ、メーカーからキックバックがあり、返品された商品はメーカーに突き返すだけだから痛くもかゆくもない。メーカーはそんなことは織り込み済みの値段を付けているので仕方ないと思っている(それでも日本より安い?)。

どちらも売上には計上される。しかし、本当の売上と言えるのだろうか。利益は出ているのか。訳の分からないアメリカ経済。消費者保護の下に変なことになっていませんかね。

「どうでも良いものから試してみて、『リターン』て言えるようになれば、アメリカ生活に慣れた証拠ね」との奥さんのアドバイス。なるほど〜。

ところで、入居前に申し込んでおいたのに電気代の請求が全く来ない。どうなっているのかと思って電力会社に問い合わせてみると、申し込みに不備があったので申し込みはキャンセルされているとのこと。「問題があれば連絡します」って最初のメールに書いてあったのになあ。どう見てもそっちの責任でしょ。やれやれ、また交渉か。でも電気はずっと使えているからこのまま放って置こうかなあ。

アメリカ経済は大丈夫ですか。ガソリン対策の前にやることあるでしょ。

マリーン・ワン

ナショナル空港が懐かしいと書いてしまったばかりに、帰りは足止めを食ってしまった。機内に入ってから2時間、機械の故障で待たされた。挙げ句にフライトはキャンセルになってしまい、全員おろされ、取り直しになったフライトは5時間後。それも機体のやりくりが付かなかったみたいで、さらに45分遅れ。かなり疲れた。

おもしろいことが一つだけ。ナショナル空港で待っている間に、ポトマック側の向こう岸でヘリコプターが3機並んで飛んできた。ワシントンDCの上空を飛行機やヘリコプターが飛ぶことはまずない。ナショナル空港に離着陸する飛行機はポトマック側の上を飛ぶことになっている(騒音対策でもある)。3機並んで飛ぶとは何事かと思ったら、1機はホワイトハウス辺りに着陸した。大統領のマリーン・ワンだったのだろう。大統領が乗る大型ジェット機はエアフォース・ワンという空軍の飛行機だが、アンドリューズ空軍基地からホワイトハウスまでは海兵隊のヘリコプターであるマリーン・ワンに乗る(このエントリーにレーガン大統領が乗っていたマリーン・ワンが写っている)。

帰宅して調べてみると、前日の10日にブッシュ大統領夫妻はテキサスの牧場で娘の結婚式に出ており、翌11日にホワイトハウスに戻ってきたところだったのではないだろうか(ホワイトハウスのプレスリリース。大統領の後ろにエアフォース・ワンが写っている)。

夏時間のせいで、午後7時にボストンに着いてもまだ明るいのが救いだ。でもやはりまだ寒い。まだ寒いのに、MITは今週で授業が終わり、試験期間の後、5月26日のメモリアル・デーからは夏休みだ。サマー・セッションもあるけど、長い人は9月1日のレイバー・デーまで3カ月の休みに入る。うらやましい(私はずっと休みみたいなものだけど)。

無知とは怖いもので

昨日会った方との雑談の中で、トルコで起きたことを話したところ、その方はトルコに駐在されたことがあるそうで、「それは天皇陛下とのアポをドタキャンしようとしたようなものですよ。駐在武官の方は青くなられたことでしょうね」とのコメントをいただいた。トルコの参謀本部の総司令官とはそれだけの立場の人らしい。無知とは怖いものだ。

学問がおもしろくなった授業

またもや訃報である。内山秀夫先生が亡くなった。慶應の法学部政治学科に入ったとき、面接試験があった(今もあるのだろうか)。その面接官二人のうちの一人が内山先生だった。どんな本を読んだかとか、尊敬する人は誰かなんてことを聞かれた気がする。

勢い込んで入学したものの、日吉キャンパスは遊ぶところになっていて、まじめに勉強したいと思ってもあまりできなかった。必然的に勉強以外のことにのめり込むことになるのだが、一年生の授業で一番おもしろかったのが内山先生の政治学だった。同期のほとんどの人たちは、並行して開設されていた別の先生の政治学を履修していたが、私は大教室にまばらにしか人のいない内山先生の政治学が好きだった。

授業はほとんど内容が分からなかった。教科書が一冊指定されているが、毎回2〜3ページしか進まない。教科書の行間に書かれていることを解説しながら、内山先生の話は大きく脱線していく。その脱線具合があまりにも大きくて、受験勉強に慣れ親しんだ頭にはさっぱり入らない。

それでも毎回、頭の中をぐるぐるかき回される思いだった。なんだかよく分からないけど、授業に出ていって聞いていた。履修者が少なく、さらに出席してくる学生も少ないのだが、出てきている学生も時々退屈しておしゃべりを始めてしまう。すると内山先生は突然話を中断して、「たのしーかい、おじょーちゃん」と軽い調子で声をかける。みんなびくっとして教室が静まりかえる。内山先生は、そこに学生なんかいないかのような調子で、時に退屈そうに、時に興奮しながら独演していく。(これはもしかしたら私の記憶違いかもしれないけど)日吉の大教室の「禁煙」と書かれている張り紙の下で、内山先生はおもむろにホープ缶からたばこを出してを吸っていた。「キース・リチャーズみたいだな」と思った記憶がある(ホープではなくて、たばこを吸っている姿の話)。

どうやら内山先生は、だんだんおとなしくなりつつあった学生たちに不満を持っていたらしい。学生運動の時代へのノスタルジーもあったのかもしれない。内山先生なりのやり方で、学生を挑発しようとしていたのだと思う。本当は、「先生、禁煙て書いてあるじゃないですか。何でたばこを吸うんですか」と言って欲しかったのだろう。でもそんな勇気は私にはなかった。

二年生が終わる頃、ゼミを選ばなくてはいけなくなったとき、内山ゼミに入ろうと思っていた。しかし、内山先生は新潟国際情報大学の初代学長として転出されることになり、ゼミは開講されなくなってしまった。私は行き場が無くなり、迷いに迷って、新任の薬師寺泰蔵先生のところへ行くことにした。結果的に私の人生にはこれで良かったのだと思うけれども、あのとき、内山先生のゼミに入っていたら、ぜんぜん違う人生になったような気がする。

薬師寺ゼミに入ったとき、意外にも内山先生に興味があるゼミ友が何人かいたので、一緒に内山先生を誘って、新宿の居酒屋で飲んだことがある。内山先生は、熱燗ではなく、「ぬる燗」にこだわっていた。居酒屋チェーンのお店だから、ぬる燗なんてものは作れない。店員さんが困って、いったん作った熱燗に冷たいお酒を足していたらしい。内山先生はぜんぜん食べなくて、お通しで出てきた小皿のもやししか手を付けなかった。それなのにぬる燗をがぶがぶ飲むものだから、帰る頃にはフラフラで、われわれより酔っぱらってしまっている。軍国少年だった頃に覚えた敬礼の仕方をわれわれに教えてくださったのだが、いくら真似してもダメ出しされてしまったのが懐かしい。

大学はどんどんサービス産業化しつつあり、内山先生のような人間くさい授業はもうやりにくい。私がSFCで内山先生のような授業をやったら、授業評価でどんなコメントが学生から来るのだろうか。予備校的な授業になれてしまっている学生は、すぐに要点を教えてもらおうとする。しかし、答えなんてそんな簡単には見つからないし、テストのために覚えた知識はほとんど役に立たない。私にとっては内山先生の授業が原点のような気がする。あの授業を聞いていて、自分がたくさん知らなくてはいけないことがあるということを自覚して、学問をちゃんとやろうと思い直した。どうせやらなくちゃいけないなら、ああいう授業をやってみたい。

内山先生の名講義(復活!慶應義塾の名講義:2006年6月24日)

痛々しいお姿の上に、声が聞き取れないのが残念だ。

外星人

今日、日中共同プロジェクトの最終報告会があった(残念ながらクローズド)。その打ち上げの席で中国の研究者に教えてもらったところによると、中国では宇宙人のことを外星人というそうだ。外国人と同じ発想である。分かりやすい。

外星人が北京にやって来ると、北京の人々は国家安全保障問題だから政府に通報しようと言うらしい。外星人が上海にやってくると、上海の人々はビジネスにしようと言うそうだ。外星人が河南省にやってくると、海賊版コピーを作ろうと相談するらしい。外星人が広東省にやってくると、スープにしてしまおうと言うそうだ。

新年の抱負

今年は変化と移動の多い年になりそうな気がする。だからこそ、目標は「没頭」である。我を忘れて夢中でいろいろなことをしてみたい。レーガン図書館での5時間は久しぶりに誰にも邪魔されない没頭した時間だった。ネットも通じないし携帯電話もかかってこない。目の前にある資料との格闘だけだった。こんな贅沢な時間はない。

おまけに新年早々良いことがあった。母校の三鷹高校が全国サッカーで都立高校として初の2勝目をあげたのだ。

三鷹が都立勢初の2勝目 全国高校サッカー

確かに私がいた当時からサッカー部は元気が良かったが、全国レベルにはなっていなかったはずだ。どちらかというとのんびりした高校で、そこが良さでもあったのだが、スポーツでも勉強でもガツガツした人は少なかった。しかし、いざテレビで見てしまうと大声で応援してしまう。これも夢中になれるすばらしい時間だった(録画で短縮されていたというのもあるけどね)。

LAからコミケへ

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所用があってロサンゼルスに行ったついでに、大阪大学のロバート・エルドリッヂ先生に刺激され、郊外のレーガン図書館に寄ってきた。エルドリッヂ先生によれば歴代大統領は任期終了後に地元に図書館とミュージアムを建てる。そこに政権時代のあらゆる資料が集められる。今回、レーガン図書館の展示では、ナンシー夫人の服が特別展示されていた。しかし、展示の目玉はやはりエア・フォース・ワンとマリーン・ワン(ヘリコプター)の実物であろう。エア・フォース・ワンの内部も見ることができるが、写真は禁止。

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ホワイトハウスのオーバル・オフィスのレプリカもある。レーガン大統領はジェリー・ビーンズが好きだったらしく、エア・フォース・ワンの中にもオーバル・オフィスの中にも瓶に入ったジェリー・ビーンズが置かれていた。これはメーカーが特別に作ってくれた展示用とのこと。

図書館の外にはベルリンの壁の実物が展示され、大統領のお墓もある(でも実にからっとしたものだ)。図書館は丘の上にあるが、木も生えていない岩山で、荒涼とした風景が周りには広がっている。陽気な大統領とは少し似つかわしくない感じがしたが、本当はこういう荒れ地が好きなカウボーイだったのかもしれない。

リサーチ・ルームにも入れてもらう。ここは前もって連絡をしてから行った方が良いそうだが、私は何とか入れてもらった。予約が必要なのは、資料が情報自由法(情報公開法)で公開が認められたものに限られるからだ。もし自分が欲しい情報がまだ公開されていない場合には、事前に公開請求をかけてから行った方がいい。

欲しい資料そのものではなかったが、関連するお宝資料にたまたまめぐり会えた。昼飯を食べる間も惜しんで389枚のコピーをとる。原資料は丁寧に扱わなくてはならず、ホチキスで止まっている場合にはいちいちアーキビストのところに持っていってとってもらわないといけない。一枚一枚丁寧にコピーをとっていると、5時間で389枚が限界だった。年末だったせいか、私の他には一人しかいなかったので、コピー機を独占できて幸運だった。

短い滞在から戻って、大晦日にコミケに学生と出かけた。話には聞いていたが、実際に行くのは初めてである。わざわざカタログを取り寄せてくれたS君に案内してもらった。東ホールと西ホールがあり、東ホールは山手線の満員電車並みの混雑だった。

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西ホールでは卒業生のyokk がライトノベル(ラノベというらしい)の評論集を売っていた。きれいに製本してあり、完売したそうだ。お見事。近くで出店していた旧知のAさんとも久しぶりにお話しできた。ミリオタや政治評論のパンフレットも売っていて、こちらは何となく親近感を持つことができた。

LA郊外の岩山の上にあってほとんど人のいない図書館から18万人も押しかける東京のコミケへの移動は恐いぐらいだ。あれだけたくさんの人たちを引きつける力は何なのだろう。祭りとはああいうものなんだろうか。「まだ4万円も余っているよ」という声が聞こえてきたり、銀行のATMに長い行列ができていたりするのを見ると、確かに大きな「マーケット」になっているということはいえるだろう。

しかし、普通の市場経済とは何かが違う。例えば、それぞれの売り物の値段が100円や500円というスタンダード価格が付いている。ということは、中身を吟味した上で、それに見合う値段を付けているわけではないらしい。値段はあくまでコストを回収することができれば良い程度の意味しかないような気がする。手に入れられるか入れられないか、読んで、見て、おもしろいかどうか、それが重要なんだろうか。公文俊平流に言えば「智場」なんだろう。しかし、あそこまで大きくなるものか。

養老孟司『死の壁』によれば、戦争で発散できなくなった若い力が60年安保、70年安保に代表される学生運動につながったという。しかし、その学生運動ももはやない。若い力を発散する必要すらなくなっているのか、それともコミケは新しい力の使いどころなのか。興味深いが、なかなか腑に落ちない。

ところで、MovableTypeをアップデートしてみたらかなり改善されているようなので、またココログから移動してみようと思う。