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東西大学校日本研究センターで開かれた会議に参加するため、はじめて釜山に伺いました。
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会議がはじまるまで少し時間があったので、旧釜山市街を歩いてみました。一昨年、台北で開かれた研究会で釜山の歴史についての報告を聞いてから、この街がどう変化してきたのかが気になっていました。
まず伺ったのは臨時政府記念館。朝鮮戦争のとき、釜山まで退却を余儀なくされた臨時政府の官邸が置かれ、李承晩が住んだ建物です。驚いたことに、戦前の慶尚南道知事官邸(1927年竣工)でした。つまり、阿部千一ら昭和戦前期の同知事がここに住んでいたことになります。 案内の方がとても流暢に日本語を使いこなされる方で、官邸に留まらず、旧釜山市街のことをたくさん教えていただきました。最近、史蹟に指定されたため、週末は韓国の国内観光客でとても混雑するそうです。李承晩による「敬天愛人」の額が掲げられていました(西郷隆盛ではなく、キリスト教由来との説明を受けました)。
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記念館の方に勧められて訪問したのが、すぐ麓にある東亜大学校博物館。旧慶尚南道庁舎だった建物だそうです。中には伊藤博文と李完用の書など、日本統治時代のものも多くありました(キャプションはハングルのみでした)。
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ここでふと気づいたのが街のつくりです。地図中央の赤い矢印が臨時政府記念館(旧道知事官邸)。そのすぐ右下が東亜大学校博物館(旧道庁)。真ん中のまっすぐ伸びた道の先、地図の下に港があります。港の左手には13階建てのロッテマート釜山店がありますが、それは旧釜山府庁舎の跡地でした。港を中心に、日本の統治機構が象徴的に配置されていることがよくわかります。
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翌日、会議のみなさんと伺った釜山近代史博物館は、政治、経済、文化を網羅したとても充実した展示施設でした。ここでも気になったのは街のようすとその変遷でした。
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最終日に臨時政府時代の集落が残る甘山地区にも伺ってきました。砲撃を避けるように、山間に所せましと住宅がひしめき合い、当時の緊迫感が伝わってきます。現在はそれをペンキでカラフルに塗って観光地になっているようです。ペンキ塗りが公共事業として行われたというお話は、とりわけ印象的でした。
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