(台中市内にある牛肉麺店には「青年は故郷に帰って投票を」という貼り紙が見られた)
2日目は朝から中部の中心地である台中市に移動して、激戦区と言われる3つの地域の選挙事務所を回りました。
(以下の文章は、ひょんなことから台湾と長くお付き合いすることになった日本政治史研究者の見聞録です。台湾政治の専門家ではない筆者が、ごく雑駁な印象をメモとして記したものです。ご了承ください)。
最初に訪ねたのは、台中市第3選挙区(后里区、神岡区、大雅区、潭子区)。無所属で現職の洪慈庸候補、国民党所属で元職の楊瓊瓔候補、台湾民衆党の新人・張睿倉候補ら6名が1議席を争う。洪候補は4年前の総選挙で、ひまわり学生運動から生まれた新党・時代力量から出馬して、5期連続当選の楊氏を破って注目を集めた。当選後も優秀立法委員に5回選ばれるなど積極的に活動しているが、復活を期す楊候補の勢いが強く、激戦と報じられていた。
潭子区にある洪候補の選挙事務所では、6,70代の支持者が5名ほど詰めており、温かく迎えてくれた。前年に時代力量を離れて無所属になったこと、対抗馬の楊候補が先月まで台中市副市長を務めながら選挙戦を展開したことなど、苦戦の理由も口々に語られた。前回総選挙の際には台中市長は民進党員であったが、2018年の地方選挙で国民党が奪還していた。ここでも地方選挙の敗北の影響がみられた。事務所に詰めていた方の一人は里長だった。
事務長を務める女性が政策パンフレットを取り出し、丁寧に説明をしてくれたのは印象的だった。特に力が入っていたのは子育て政策であった。台湾では日本より早いスピードで少子高齢化が進んでおり関心も高いのだが、4年前の選挙ではあまり大きく論じられてはいなかった。洪候補は子育て中の議員でもあり、幼児園や公園の整備、学校での子どもの安全、親目線の政策が前面に打ち出されていた。
それは次に訪問した大雅区の選挙事務所により明示的に表れていた。選挙区内の4つの行政区にはいずれも選挙事務所が置かれていたが、ここ大雅区では「親子基地」という名前が付けられていた。中華民国空軍の基地がある関係から国民党の地盤となっているこの地域に選挙事務所を出すことは難しく、絵本や遊び場(屋内のすべり台や秘密基地も!)を設けて支持者を集める方法が取られており、配布されている選挙グッズもウェットティッシュや食器用スポンジなど、家庭的であった。
もっとも2階の奥にはミーティングテーブルがあり、スタッフが真剣な表情で会議を行っていた。ちょうど洪候補が街宣に出るところで写真撮影には快く応じてくれたが、質問は断られてしまった。
(洪候補の大雅区選挙事務所「親子基地」にて。ヨシタケシンスケさんの翻訳など、日本の絵本も多く並んでいた)
折しも、3つの激戦区で選挙戦に臨む民進党系の候補者が一同に会すると聞き、会見場となった民進党の新人・荘競程候補の第5選挙区事務所に向かった。ケーブルテレビ局がきわめて多い台湾だけあり、会場にはすでに10台ほどのカメラが並んでいた。注目度の高さが伺える。
それもそのはず、台湾の民主化運動の歴史のなかでもとりわけ有名な1990年の野百合学生運動で拘束された民進党のレジェンド3名が集まり、激戦区で戦う3名の若手にエールを送るという志向の会見だった。民進党発足の日である「928」を施した緑のジャンパーを着た3名は、右から鄭文燦氏(桃園市長)、黄偉哲氏(台南市長)、林佳龍(前台中市長、現・交通部長)と、いずれも直轄市の市長、政府の大臣を務める立志伝中の人物である。
(会見のようす。手にしている風船バットには「(3)英徳勝利」とある。総統選は3番の蔡英文・頼清徳に投票という意味)
左には荘候補、洪候補に加えて、赤のジャンパーが印象的な第2選挙区の陳柏惟候補が並んだ。荘候補の対抗馬は当選7回を誇る国民党の沈智慧候補であり、候補者9名の乱戦となっていた。陳候補の対抗馬はやはり国民党の顏寬恒候補であるが、顔候補は父の代から数えると5回連続当選を果たし、いわゆる黒金政治を支配しているとされた。陳候補は台湾独立を明確に主張する新党・台湾基進党の落下傘候補(前・高雄市会議員)であり、当選は難しいだろうと言われていた。
6名が所信を述べたのちの質問は、陳候補に集中した。映画製作で名を馳せ「KANO」の制作にも関わり、2018年の高雄市長選挙では韓国瑜候補のネガティブキャンペーンに注力したというメディア人らしく、どう見せるかを強く意識した応答が印象的だった。彼のキャッチフレーズである「3Q(Thank you)」が出るたびに、会見場は盛り上がりを見せた。
(記者会見終了後、陳候補、荘候補と。「3Q」の指サインも見せてくれた)
台中市では、全8議席のうち、民進党5、国民党2、基進党1となり、民進党が1議席増、国民党が1議席減という結果となった。訪問した選挙区では、接戦とされた第2区で楊候補が雪辱を果たし、洪候補は969票差(得票率にして0.5%)の僅差で敗れた。前回より3200票ほど減少したことから、時代力量を離れたことの是非、台湾民衆党が候補を立てたこと(14,700票を獲得)による票の分散などが指摘された。
他方、苦戦が報じられていた第5選挙区の荘候補は5272票差をつけて勝利した。こちらも台湾民衆党が候補を立てており(18,768票)、票の分散が懸念されていたが、国民党に近い親民党の候補があったこと(5,100票)などが効果をもたらしたのではないかと言われる。
台湾中を驚かせたのは第2選挙区の陳候補の当選であった。当選確実の報道が流れたあと、上記の写真をFBに載せたところ、多くの友人から「これは記念になる!」「台湾は変わった!」といった興奮の声が寄せられた。それだけ意外な結果だったということだろう。「誰もが出たくない選挙区」であったからこそ、民進党の支持を得ての5,127票差での当選となった。もっとも、前々回選挙では得票率で0.9%、前回選挙でも3%と僅差で会った。投票率が7%増えていることもあり、あれだけのメディア戦略が勝利を呼び込んだといえるのではないか。台湾独立を唱える落下傘候補、かつ、基進党唯一の立法委員が4年後も議席を得られるか、今後の活動が注目される。
台中では知人が丹念に行程をアレンジしてくださり、折よく帰郷していた知り合いの学生2名も同行して通訳を買って出てくれました。記して御礼申し上げます。
(見聞録(3)台北の昼 へ続く)
コメントを残す