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眠る情報、死んだ情報公開

今年の4月、青島都知事の誕生とともに騒がれた問題がある。都市博の開催問題だ。選挙とその公約によって、あれほどまでに宣伝された博覧会も珍しいだろう。もっとも、青島氏が都知事になっていなかったら、未だほとんどの人がその開催を知らなかったかもしれないが。

さて、その都市博は結局中止になったわけだが、その裏で臨海副都心計画というものが、未だに続行されているということを知っている人はどれくらいいるだろうか。  いや、そもそも臨海副都心計画と都市博の違いを指摘できる人は、どのくらいいるだろうか。

たしかに、報道機関は公約を厳守するかしないかが争点であったため、臨海副都心計画自体には特に報道がなされていなかったようだ。だから、一般都民が臨海副都心計画というものをよく知らないことは理解できる。そもそも、我々でさえ、慶應大学生という立場に立っていなかったら、知らぬまま過ごしていたかもしれない。そう考えると、一般的に知られていないというのも、不幸ではあるが当然であることなのだろうか。

だが、もし我々がその計画の存在を知り、それについて詳しい情報を得たいと考えたならば、いったいどうすればいいのだろうか。

1つの方法は、報道機関に問い合わせることである。だが、報道機関が取材を行う事象は、この都市博の騒動でもわかるように、視聴者のニーズに合わせたものである。であるから、反対にそのニーズに合わないものはない可能性が高い。つまり、臨海副都心計画の計画自体の情報など、視聴者のニーズに沿っているとはいえないので、報道機関に情報が存在しない可能性がある。

それに、報道機関というものはどうしても、その機関自体が持つ主観というものが入ってしまう可能性がある。データを改竄するというところまではいかないが、故意に隠される可能性がないともいえない。また、仮に隠されたとしても、文句を言う資格がないというのも欠点である。

以上のように、情報というものを報道機関に頼るというのは、きわめて危険であるといえるだろう。

では、いったいどうしたらいいだろうか。そこで出てくるのが、もっとも手っ取り早く感じられる、直接聞くという方法である。具体的にいえば、都庁に行って聞いてみればいいのである。これなら間違いないはずである。それに、都民だったら都への納税者なのであるから、親切かつ丁寧な対応が期待できるのではないか。

だが、実際にはそれほど簡単ではなかったのである。

そもそも、その臨海副都心計画のパンフレットでさえ、1カ所にあるわけではなく、各部署に散らばって置いてあったのである。だから、そういったパンフレットのすべてを集めるためには、都庁の内部をひたすら歩き回らなければならない。それに、それだけ苦労して集めても、所詮パンフレットに過ぎない。

では、もっと詳しい資料が欲しいと思ったとする。そういう場合、情報公開ルームという所に行かねばならない。だが、そこへ行ったとしても、欲しい資料の正確な文書名がわからないと、欲しい資料を得ることはできない。でも、臨海副都心計画のことを詳しく知らないから情報を集めに来ているのに、その情報がある文書の名前がわかるはずがないのである。

それに、仮に欲しい文書名がわかっていたとしても、それが公開か非公開か決定されていない文書だった場合には開示請求というのを行わなければならない。この開示請求をすると、この文書の担当(制作者)が開示・非開示の決定を行うのだが、その決定に10日ほどの日数がかかるのである。これでは情報の自由な閲覧というものがない、と断言してもよいくらいである。

つまり、結局都庁に行って情報を集めたとしても、期待したほどの成果は得られない上に、苦労は大きいものとなるのである。

では、我々はいったいどこで、どうやって調べたらいいのだろうか。いや、そもそも得ることのできない情報なのだろうか。

そんなことはないだろう。我々は納税者なのだ。都を企業ととらえるなら、株主である我々に情報が届かないというのはおかしな話である。

だが、その情報伝達の手段を報道機関に求めるのは無理がある。彼らにはそんな義務はない。

その役割は都自身に求めるべきである。毎日、都の新聞を配達しろ、とは思わない。だが、都庁に行って資料を集めようとしたとき、もう少し使い勝手が良くてもいいのではないか。現状では、一般都民向けの情報公開制度であるとはいえないだろう。

だから、我々は考えるのである。都の情報公開をスムーズにするには、現行の制度のどこをどのように改善し、どのようになったら良いのかを。そして新しい、都にふさわしい情報公開制度を考えてみたいと思う。



Atsushi Kusano
Sat May 10 18:41:20 JST 1997