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歴史

日本において原子力開発が始まったのは1950年代半ばのことだ。日本 学術会議が活発な議論を行っていた矢先の1954年、初めて2億3千5百万 円の原子力予算が国会を通過した。

同年にビキニ環礁での福竜丸被爆事件がおこり、学術会議の議論は、巨額の 原子力予算への魅力と軍事利用への危惧とのはざまでゆれた。ここで「原子力 開発は、すべて公開して行い、研究者の民主的運営のもとで自主的に行う。」と する「自主・民主・公開」の三原則が打ち出された。この原則は1955年の 原子力基本法に盛り込まれたが、公開の原則は「成果を公開する」という形に 変えられてしまった。

1956年には、原子力基本法に基づき原子力委員会が発足した。そして、 原子力の研究開発が1958年に本格的に開始された。

日本における原子力開発は、独特のキャンペーンのもとに進められた。すな わち「唯一の被爆国であるからこそ、平和利用の先頭に立たなければならない」 という考えだ。そして「平和利用」が軍事利用とは切り離された、その対極に あるものだとの認識を生むことにいたった。

しかし、原子力開発は、開始当初から非民主的に進められ、検討内容などが 広く公開されることはなかった。試験炉のデータも出ないうちに導入を決定、 建設に着手した例などもあり、多くの批判を受けることになった。  



Atsushi Kusano
Thu May 8 15:35:48 JST 1997