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原子力発電をとりまく組織

所轄の官庁

原子力発電の監督は、主に科学技術庁と通産省が担当している(研究開発用の原子 炉は科学技術庁、商業目的の原子炉は通産省、原子力船は運輸省の担当)。電力会社 は、原子炉の運転状況や発生したトラブルなどを所轄官庁に報告し、新規に原発を建 設するときなどには計画書を提出、認可を受けなければならない。情報の公開につい ても、どこまで公開するかの決定権はそれぞれの所轄官庁が握っている。(実際は電力 会社と協議をして決めている。)これらの権限のためもあり、電力会社や日本原子力発電株式会社(略称:日本原電) などは、通産省や科学技術 庁からの天下りを受け入れている。しかしこのことは、電力会社と省庁とが Give and takeの関係、すなわち計画書の審査を甘くするかわりに天下りを受け入れさ せるなどで結ばれており、癒着があるとの批判をうんでいる。   原子力委員会および原子力安全委員会

現在、日本の原子力政策は主に原子力委員会で決定されている。原子力委員会は1 956年、原子力基本法に基づき「原子力に関する国の施策を計画的に遂行し、原子 力行政の民主的運営を図る」ため総理府に設置された諮問機関だが、「内閣総理大臣 はその決定を尊重しなければならない」とされており、従来の審議会、諮問委員会と は異なる独特の権限をもっている。 その後1978年には、原子力船「むつ」の放射能洩れ問題を機に原子力安全委員 会が発足し、安全審査の権限は原子力委員会から原子力安全委員会に移された。原子 力安全委員会は、各行政庁の行う安全審査と安全規制などを、再審査(ダブルチェ ック)し、公開ヒアリングを開催する権限を持ち、また、安全上重要な事項について は行政庁に報告させ評価を行うことになっている。 ただし、どちらの委員会も、委員長を科学技術庁長官が兼任し、またメンバー も電力会社の取締役やOBが多いことなどから、「内輪だけの会合だ。」とか 「批判能力がない」という指摘もある。

電力会社およびその傘下の会社

現在日本では原子力発電は東京電力等の電力会社とそれらの出資によって創立され た日本原電だけが行なっている。これまで電 力会社は熱心に原発の開発に取り組んできたが、その理由としては二つのことが考え られる。 一つは、原子力発電は他の発電方式に比べコストがかからない、という事実だ。1キロワット時あたりの発電コストは、水力の13円、石油火力の11円に対し、原子 力は9円程度で、廃棄物の再処理費用を入れても原子力発電のほうが安いと言われて いる(ただし、そのためには原子炉をノンストップで運転させる必要があり、実際の ところ、ごく最近まで電力会社の原子力部門は事故の多発のために赤字続きであった )。 もう一つの理由は、日本独特の電気料金算定法にある。周知のように、電気事業は 各地域ごとの電力会社が独占的運営を行っている。電気料金は電気事業法によって定 められた基準によって決定されるが、その基準によると、電力会社が固定資産および 建設中の資産を増やせば増やすほど電気料金は高くなるようになっている。そのため 、他の発電方式より大型の設備投資を必要とする原子力発電所の建設は、電気料金の 値上げにつながり、電力会社は利益を上げることができる。

地方公共団体

原発の立地予定地に選ばれた地方自治体の反応は賛成、反対、様々であった。 地方の財政的に苦しい市町村にとって、原発立地に伴い地元に落とされる援助 金は魅力的だ。いわゆる電源三法(電源開発促進法、特別会計法、周辺地域整 備法)による給付の仕組みのほか、立地に伴う固定資産税が大きい。年間数億 から十数億円の単位の金がこれによって動く。 また、これらが原発の建設が終わることで減額された後も、それをカバーするため に原発立地市町村の電気料金割引、電力移出県等交付金などの仕組みがある。しかし、 これらはいわば迷惑料で、地域の自立化、活性化を促すものではない。

原発反対運動

原子力発電所の建設に反対する運動は、どの建設予定地でもほぼ例外なく起こった。 当初は、原発に対する漠然とした不安からだったが、「平和利用」キャンペーンと、 電源交付金などの魅力に動かされる地方自治体とによって孤立させられることも多か った。 しかし、1970年代にアメリカで起こった原発の安全性をめぐる論争は日本にも 影響を与え、専門家などからも原発反対の声が出るようになる。原発建設の差し止め を求める訴訟も、各地で相次いだ。また、建設地周辺の住民だけでなく、大都市の市 民などからも反対運動が起こるようになった。 こうした運動は、自らを反原発運動と呼んでいた。75年には京都で「反原 発全国集会」が開かれている。これらの多くは、政党や労働組合などの組織が 支援または主導していた。社会党主導の原水禁などがその例だ。そのため、 個人の参加が困難だったり、発言の自由が制限される場合が多かった。 1986年に起こったチェルノブイリ原発事故は、一般市民に原発事故の恐 ろしさをあらためて認識させることになった。そして、全国各地でさまざまな 運動体が生まれ、「原発を止めよう」と立ち上がった。こうした新しい、自然 発生的な市民運動は、やがて反原発ではなく、「脱原発」を合言葉に広範な運 動を展開するようになる。



Atsushi Kusano
Thu May 8 15:35:48 JST 1997