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どうしてシミュレーションなのか?

  では、私たちが、どうしてシミュレーションという手法を発表で用いたのか、という点と、その詳しい解説をしたいと思う。
  まず、シミュレーションという形式が、記者クラブを取り上げていく最初の段階ですでに考えられていた、ということを述べておきたい。
  それは、記者クラブと情報公開が互いに影響し合うのではないか、という予想をグループ内で持ったからであり、じゃあどう変わるのかということを提示して情報公開が「良い」ということへ結論を持っていきたいと考えたからである。
  しかし、どう作用するのか、といった点でグループが一致していたわけでは
ない。情報公開制度が記者クラブを変えるというものと、情報公開制度によっ
て記者クラブは影響を受けないが、記者クラブを変えることによって情報公開
が進むというもの、の2つの流れがあった。
  結局、どうなったかというと、これがどうにもなっていないのである。なぜなら、そこには大きな障害があったからである。
  それは、何か?それは、情報公開制度が「どうなるのか」ということがはっきりしない、ということであった。情報公開制度というものが、シミュレーションの大前提であるので、私たちは漂流しているようなものだ、と感じた。なにしろ不確定要素があまりにも多過ぎるのだ。まず、国民の知る権利の保障である情報公開と行政改革のための情報公開が入り乱れている、ということ。これは、取材でも得られた結果である。そして、情報公開を調べれば調べるほどでてくる救済機関であるとか、費用面とか、公開非公開のラインであるとかの不安材料である。まさに、情報公開制度が名ばかりのものになる可能性や「情報非公開法」になってしまう可能性の下で上に挙げたような流れをどうやって語るのか、と問えば自分たちで法律をつくるしかないという答がかえってくるような状態に陥ってしまったのだ。
  では、本番をどう乗り切ったのかを見ていきたいと思う。
                 シミュレーション

  このように、記者クラブのメリットは、国民にとっての不利益につながっています。特に、情報の一元的管理の改善が最優先で、この点を解消した新しい記者クラブのあり方が求められているのです。そのためには、情報公開制度の確立、特に情報公開法の制定が必要であると私たちは思います。
  ところで、私たちの考える情報公開には、過去の文書の情報に限らず、記者クラブが公式会見で得るようなタイムリーな情報も含まれていることを頭にいれておきき下さい。
  まず、情報公開法が制定されて変わるのは、一次情報のほとんどが多くの人々に公開されるということです。
  いままでは記者クラブにのみ行政側から一次情報が流されてきました。ですから、彼らは、自分たちに不利となる情報は流さずにすみました。確かに文書閲覧という制度もありますが、それでは一次情報さえも十分にながれては来ません。そのことは実際に私たち自身で体験をし、実感したことです。
  しかし、文書形式の情報は原則公開自由、という情報公開法が制定され、公開制度が確立すれば、「記者クラブ」以外にも情報のながれるチャンネルができ、行政側の都合のいいように情報を一元管理することは難しくなります。これは、記者クラブがいままで持っていた特権の一つが失われることを意味します。クラブの記者にとっても自分の足で二次情報を取材する必要が増えてくるでしょう。
  情報公開制度の一つとして、直接国民が行政情報にアクセスできるような提案もあります。それは、国が行政情報をデータベース化し、オンラインで公開するという環境を整備することも挙げられるでしょう。政治の透明化が進んでいく過程において、市民参加型の政治が実現していくのではないでしょうか。
  また、記者会見の実状を見てみると、記者たちは自分たちから質問をすることはほとんどないため、全てのメディアが参加できる場を設定することで、鋭い質問の飛び交う会見が可能になるという考えもあります。
  以上のことで、現在よりも情報の開かれた社会になっていくと思われますが、行政には制度で十分に流れてこない情報もあるわけです。それは、夜討ち、朝駆けといわれる記者クラブの記者と政治家の個人的な人間関係をもとにした取材によって入手されているため、国民に十分に流されているとはいえません。そこで、記者自身の力量次第ですが、全てのメディアが対等の立場で競争して取材が行なわれることも必要であると考えられます。
  このように情報のチャンネルを増やすことで容易に情報を得られるようになれば、私たち国民にとって有益であることはまちがいありません。つまり、情報公開がなされることは、国民が積極的に政治に参加する第一歩としてどうしても必要なことなのです。
          
                             プレゼンテーション台本「シミュレーション」より
  まず、私たちはこのシミュレーションの前提として、情報公開法によって一次情報のほとんどが一般の人に公開される、ということをあげている。
  情報公開法の前提としては、情報公開五原則にのっとるとかいろいろそれ以上に注文をつけれるのならば、つけたいのだが、最低でも、というラインであるし、取材先の官僚についても一次情報は公開、という意見を得られたとおもう。
  次に、このシミュレーションによって何を証明しようとしているのか、を追ってみると、情報の一元的管理(記者クラブ)を情報のチャンネルの多様化へと移行することで、国民一人一人が情報を選ぶ権利を与えられるため、この行為を進める情報公開制度は必要である、という流れになっているということがおわかりになるかと思う。つまり、これが前の方で書いた「情報のチャンネルを増やすことに情報公開の意義がある」ということに当たるのである。
  では、記者クラブと情報公開は、どうつながっているのか。シミュレーションでは、情報公開法に一次情報の公開を前提として設定したため現在一次情報を(特権的に)得ることのできる立場にある記者クラブがなんらかの影響をうけるであろう、という仮説が成り立ったわけである(これについての裏付けは取材によってならなかったが)。
  だとすると、公式記者会見における記者クラブの力は、第一章で述べた外国の大手メディアと同じようなものになってしまう。また、ここで力のある通信社の設立という案を現実にすることもできる。
  記者クラブはこれでなくなってしまうのか、というとなくなりはしないだろう。次の論点は、懇談などの記者クラブとニュースソース側のつながりはどうなるのか、ということであろう。情報公開制度が、情報の独占を許さないものであれば、確実に人間的つながりでの取材に破れたメディアはアクションをおこすはずである。しかし、ここで全てのメディアがいり乱れた取材競争がおこるのか、どんどんニュースソース側に近付き、癒着体質が強まるのかはわからない。だが、ニュースソース側は、より相手を選ぶ必要性から口を閉ざす傾向に移っていくかもしれない。これは果たして損なことなのであろうか。閉ざされたものを公開させて行政をガラス張りにするための情報公開ならば、このような状態をおいておくだろうか?情報公開で出されない情報をもつ行政を誰が信じるだろうか。そういった風潮をつくりさえすれば、情報公開のながれはもっと進むはずである。それは、安直に言えば国民意識の向上とか記者自身の問題とかになるのだろうけれども。
  とにかく、私たちは情報公開によって情報のながれるルートを増やせばよい結果が得られる、という答を導いたのである。



Atsushi Kusano
Sat May 10 19:30:05 JST 1997