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94〜96年 クリントンの変貌

小山功

中間選挙において、大敗を喫したクリントンは、一体どのような政策的転換を 行ったのだろうか。この章では、それを焦点に見ていくことにする。

中間選挙の結果は、端的に言って、中産階級の無党派層、すなわち92年選挙に おいてロス・ぺロー氏を支持した人々、の期待を裏切り、彼らにそっぽを向か れてしまったということだ。彼らには、第1期クリントン政権前半において、 クリントンの行った政策は、リベラル色が強く、受入難かった。

つまり、彼らには保守的傾向が強かった。また、中産階級の無党派層が多く、 彼らの意見を如何に汲み取るかが、選挙結果に左右するということも言える。 それら二点が、今後のクリントン政権の政策の鍵となる概念である。

中間層を取り込むため、中道路線的な色を強めていくこと---それは、クリ ントンが正常な議会運営を図るために、共和党の穏健派を取り込みすることは 戦略上当然の事であり、また同時に、再選へ向けての選挙対策にもプラスとな るので、まさに一石二鳥の方策だったのである。

他方、共和党内でもギングリッチの様な右派とドール上院院内総務に代表され る穏健派は、基本路線では意見を同じにするものの、折り合いがうまく行って いなかった。右派は「アメリカとの契約」に代表されるような徹底保守路線で あり、穏健派はそれに対し、「やりすぎ」というイメージを持っていた。実際、 下院で通った法案が上院で否決されるというケースもあり、その対立を物語っ ている例だと言えよう。

そのような、共和党内の対立もあいまって、クリントンは中道路線化を非常に 行い易い状況にいたと考えられる。

実際、選挙後の95年一般教書では、「新たな契約」を提唱し、「小さな政府」 の実現や、アメリカにとっての中間層の重要性を強調し、彼らへの減税を提唱 し、早くも中道化路線・中間層取り込みに掛かっている。また、96年一般教書 では、さらに中道化路線を強化し、財政均衡に向けての支出削減や、家族の価 値の尊重などにも触れ、保守的中間層の支持をさらに狙っている。

92年〜94年の間に話題になった公的医療制度改革は、抜本的改革を避けており、 大分鳴りを潜める結果になった。その代わりに争点となったのが、メディケア・ メディケイドであり、それが共和党との妥協点となり、96年8月の福祉改革法 成立に至っている。

最も大きな争点となったのは、均衡財政である。予算の支出削減を巡ってクリ ントンと共和党が対立し、予算が決定せず95年に連邦政府関連の公的機関がス トップするという状態にまで陥った。その時点では、クリントンは予算案妥協 への努力をしていると国民の6割(ニューヨークタイムズ世論調査)が考えて おり、それに対抗する共和党(特に、強硬な右派)への支持率は低下した。

以上の様な流れにより、クリントンは中間層の支持を確実に集め、また共和党 は中間選挙で得た支持を失うという結果になり、選挙前には「クリントン絶対 有利」とまで言われるようになったのである。



Shuichi Shibukawa
Thu May 8 12:52:18 JST 1997