1995年夏、中国は台湾領海付近で、ミサイル実射訓練を行い、台湾側は中国に
強く反発した。中国と台湾の対立は、従来の対立構造から変化しつつあり、台
湾は「一つの中国」から、中国から離れて「独立」台湾へと政策を変化させつ
つある。こうした変化は北京政府から見た場合、台湾のみならず新彊地区、チ
ベットなど他の地域にも深刻な波紋を与える問題である。
従来ならば1995年に起こった海峡両岸の軍事的緊張の高まりは中台関係の枠内
で取られるべき事柄であったが、1995年の米中関係は違っていた。それは何よ
りも李登輝総統訪米の実現に起因する。「中華民国」総統李登輝は個人の資格
で母国コーネル大学の同窓会に出席するための訪米を認められた。国務省がク
リントン大統領がこの件に同意した旨を発表すると、中国は遅浩田国防省の訪
米予定延期を発表、続いてアメリカとの「ミサイル技術に関する専門家協議」
の延期をも公表した。李登輝訪米後には駐米大使を召喚し、台湾との間の民間
最高レベル会議をも延期するところとなった。このような事態は米中国交正常
以後初めてのケースであり、天安門事件に伴う対中国制裁以来、最悪の米中関
係となった。
クリントン大統領は対中関係の原則を再確認し、「中国は一つ」であり、台湾
問題は中国の内政問題であると表明したが、中国の怒りは納まらなかった。そ
して、1996年台湾総統選挙の3月23日の投票日前日まで、中国側は台湾北部海
域に向けたミサイル実射を含む大規模な軍事演習を行うに至るのである。これ
に対し、アメリカ海軍が空母を台湾近海に派遣する事態となった。しかし、軍
事演習による中国側の脅しにも関わらず、当選した李は5月の就任式で独立を
否定する演説を行い、中国側の懸念に配慮を示し、事態は一応沈静化している
が、台湾独立問題の火は消えていない。
中台関係においては1979年にアメリカの台湾関係法が成立している。これは台 湾の安全保障に関するアメリカの政策の基盤になっており、の前提は台湾 と中国の対立が続く間は台湾の適切な防衛が平和と安全の維持に貢献するとい う点にある。台湾関係法はアメリカが台湾の自衛能力に対する支援を継続して 行うことを可能にしており、アメリカ政府が台湾への兵器売却を行っている現 状を生み出している。今回の軍事演習へのアメリカの対応もこの台湾関係法な ど台湾の安全保障の問題も考慮しており、この様な状況が米中悪化を引き起こ す引きがねともなりうる様相を呈していることは確かであろう。