アメリカ国務省は1997年1月30日、1996年度の世界各国における人権状況をま
とめた年次報告を公表した。報告は特に中国の状況について、「党と政府に対
するすべての公然たる反旗は、脅迫や追放、懲役、行政拘禁、自宅軟禁により
事実上沈黙させられた」など同国の人権状況の悪化を指摘したものであった。
また、チベットやウイグル自治区などの少数民族に対する人権侵害や宗教弾圧
が拡大していることを取り上げ、憂慮を示している。アメリカは1995年から中
国の最恵国待遇と人権問題とを切り離す方針を固めたが、依然としてこの問題
は米中関係を悪化させる火種である。
1994年中に妥協が成立していたはずの人権問題に火がついたのは、中国系アメ
リカ人ハリー・ウー(呉弘達)の逮捕からであった。ウーは中国の労改(労働
改造所)と監獄の実情を暴露し、人権侵害の実態を国外に訴えつづけて来た人
物であった。ウーの活動に対しては、共和党の議員のみまらず米マスコミや人
権団体も支持を与えた。ホワイトハウスはこれらの圧力を受けた上で、アメリ
カの市民権を有するウーの拘束を不当と非難し、即時釈放を要求するとともに、
8月に予定される北京世界女性会議への大統領夫人ヒラリー・クリントンの参
加を再検討せざるをえないと声明した。結局、ヒラリー夫人は女性会議に出席
することとなり、ウーは釈放された。しかし、中国滞在中の夫人の発言は中国
の人権問題に批判的にならざるをえなく、「一人っ子政策」に伴う妊娠中絶問
題はそれが最も表れたものであった。次いで問題となったのが、チベット問題
であった。チベット・ウイグル自治区、内蒙古自治区など少数民族地区では深
刻な人権侵害が続いている。しかし、チベットの高度な自治を要求するダライ・
ラマのアメリカ訪問にはクリントン政権は対中関係を考慮して慎重な姿勢を取っ
た。このようなクリントン政権の対応の揺れにアメリカ国内の人権団体やマス
コミは批判を強めていった。しかし米中両国の人権問題についての認識の違い
は一向に埋まらず、10月には民主活動家の魏京生が反革命罪で突如逮捕され、
同時に1995年5月以来公安当局に身柄を拘束されている天安門事件の学生のリー
ダー王丹についても逮捕との情報が流れた。
これらの人権問題が米中関係においてどのように考察されるかといえば、まず 第一に依然として両国の「人権」概念に大きな隔たりがあるということであろ う。「基本的人権」の尊重が普遍的価値であると考えるアメリカ側は中国に善 処を求めることが「正義」と考える。これに対し、中国側は「人権問題を口実 に内政に干渉している」と反論する。第二の問題は「内政干渉」の概念から生 じる。アメリカ社会は人権を尊重し、他国の問題であっても強硬にその主張を 受け入れるよう求める傾向があり、1996年に再選をかけるクリントンは人権問 題ではマスコミ、人権団体そして野党共和党の主張を受け入れざるをえなかっ た。第3には、中国側が「内政干渉」に過剰に反応しやすい、ことがあげられ る。知的財産所有権でも同様であったが、「国家主権の尊重」「内政不干渉」 といった概念に中国側は固執しやすく、人権問題でもこの傾向ははっきりと表 れている。1995年から通商と人権が切り離されたが、クリントン政権へのマス コミや人権団体、議会の圧力は依然として強く、これからも人権問題が米中関 係の大きな火種となりえるだろう。