1996年11月は大統領選挙であり、クリントン大統領は最恵国待遇に関する中国
政策においてこれを意識せざるを得なかった。
まず、第一の要因として再選をかける大統領にとって必要以上に米中関係を悪
化させたくはなかった。選挙を前に、特にアメリカ国内でも意見が二分される
対中政策に対し、大幅な外交変化を避けるためにも最恵国待遇の更新が必要で
あり、更新の背景の一つには、このような政治的理由があったといえるだろう。
第二にクリントンは選挙を前に自身の対中政策の成果を強調し、中国と良好な
関係であることをアメリカ国内に示す必要があったのではないだろうか。それ
には対中国政策がクリントン外交政策の失策といわれてきた経緯がある。
5年前、親中的なブッシュ大統領の対中国姿勢を、「独裁体制を甘やかしてい
る」と激しく批判し、人権問題を理由に中国に対するMFNを更新しないとの意
思を示したクリントン大統領であるが、当選後の1993年、自分も関与政策を
とることにし、人権問題の改善を要求する行政命令をだしながら、MFN更新を
続けてきた。クリントンの対中政策は失敗といわれており、信頼感も欠如して
いる。更に、1994年3月のクリストファー国務長官の「人権外交訪中ミッショ
ン」は、国内で失敗と評価され、政府の対中政策に対する批判が高まった。ま
た、1995年は「天安門事件以来、最悪」とさえ評されるほど米中の関係は悪化
していた。このような失策続きの中で、米中関係の悪化をもたらすことはクリ
ントンの再選のマイナス要因となることは必須であろう。
以上述べてきたように、1996年の最恵国待遇の更新を前に、アメリカ国内で大 統領選挙という状況が存在していたために、特にこのような政治的要因が存在 していたと思われる。