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最恵国待遇(MFN)の概略及び歴史的説明

最恵国待遇(MFN)とは、他の貿易相手よりも不利な待遇を与えない、つまり 関税などの面ですべての国が同等に扱われていることを示すものである。現在 では182カ国がアメリカから定期的にこの待遇を与えられており、人権問題 が顕在するサウジアラビア、シリア、リビアやビルマでさえも問題はなく、さ らに発展途上国に対してはMFNよりも高待遇であるGSPというものが争議なく与 えられている。では、なぜ中国に対するMFNが問題なのか。まずは冷戦期の歴 史から見ていくことにする。

第二次世界大戦後に発足されたGATTは、多国間の関税の引き下げに着手した。 アメリカは1948年にこれに加わり、加盟国は当時の23カ国に対して互い に最恵国待遇を与えることになった。現在では113カ国がGATTに加盟してい るが、ロシア、旧ソビエト連邦諸国、及び中国は包括的な加盟の基準義務を達 成していない。ただし、すべての主要経済圏はMFNを与えており、アメリカ以 外にこれを取り消す国は考えにくい。

1951年、冷戦の開始により、ユーゴスラヴィア・ポーランドを除く共産圏 に対してMFNを差し控える法律がアメリカ議会で提出された。1963年の立法 では、大統領によってその解禁が国益擁護であると判断されない限り、基本的 に共産主義国家にはMFNを認めない方針が確認され、通常の貿易が禁止された。

1970年代はニクソン大統領と国防アドバイザー・キッシンジャーによる 「デタントの時代」に入り、1972年の貿易協定ではソ連にMFN及び輸出入 銀行のクレジットを与えるという約束がなされた。しかし、これに対し共和党 議員のヘンリー・ジャクソンとチャールズ・ヴァニックが反対し、出入国を規 制している共産国に対してはMFNを与えないという修正案を圧倒的支持で提出 し、1974年に成立させた。当時ソ連は出国税を課しており、結局、ゴルバ チョフ政権と協定が結ばれた1990年まで、ソ連にMFNは与えられなかった のである。

一方、中国に関しては、このジャクソンは国交が存在していなかった1969 年から関係の正常化を支持しており、1979年、カーター政権による貿易協定で MFNを与えることにつながった。当時は人権団体から多少の反対もあったが、 あまり議会での争論は起きなかった。その後の10年間、中国とその人権問題 はアメリカ国内での重要な政治的論点になることはなかった。しかし、これを 完全に変えたのが1989年の天安門事件である。中国で弾圧が激しくなって いる一方で、ソ連と東欧では民主化が進んでおり、これはアメリカの中国に対 する批判の強化につながった。

また、ソ連との緊張緩和により、中国と友好を維持する理由もなくなった。ま た、アメリカは世界の価値観を変えさせる能力と義務があると信じるようにな っていた。ブッシュ大統領は直ちに中国を非 難し、武器売却をすべて止めるなどの制裁を発動したが、その後は比較的懐柔 な態度であったため、大統領に対する議会の批判が増大していき、ジャクソン・ ヴァニックの見直しによって中国のMFN待遇に条件をつける、もしくは差し置 くことが1990年以降毎年の議論となっていった。1992年には、ブッシュ は大統領拒否権を2回発動している。中国に関して独断で決定を下すブッシュ に対して、MFN更新は議会が決定過程に参加する機会を与えたともいえる。ま た、ブッシュを批判していたクリントンもMFNを無条件に更新し、関与政策を 維持している。MFN更新の過程としては、6月3日に大統領が行政命令を正式 発表し、それをオーバールールするためには60日以内に上下院両方の反対の 決議が必要となっている。



Shuichi Shibukawa
Wed Jun 4 15:35:33 JST 1997