中国の軍隊は、人員数においては世界最大の規模である。給与水準、装備、防
衛力の面で貧弱であるが、1994年登小平が国家の軍事予算の比率を
2桁にすることを約束したことから、軍事力の近代化と強化が進んでいること
がわかる。防衛支出に関しては、1988年以降着実に増加しており、公式国
防予算は1988年から1994年までに倍増している。その公式予算以外に
も軍備に支出される資金と中国軍が商業活動で生み出す資金もあり、実際は公
式予算の2〜4倍の軍事支出がされているという計算もある。
1980年代末の軍事ドクトリンでは、国境防衛を基礎とする政策から転換し、
外部への戦力展開と「周辺防衛」に基礎を置くとしている。実際に、貿易・外
交上以外にもロシアと軍事的に協力したり、台湾や南シナ海に積極的に介入す
る姿勢を見せている。また、空軍と海軍の行動範囲も拡大している。
兵器管理や核拡散はMFNの条件のうちではないが、武器に関連する売買は問題
とされている。その一例として中国がパキスタンに核弾頭用濃縮ウラニウム製
造技術を売っていることが挙げられる。金額は10万ドル以下だが拡散の可能性
が高いだけにアメリカは危惧し、1993年に、これに対して高度技術輸出規
制などの規制をかけたが、1994年には解除している。制裁(およびその脅
し)と解除が繰り返されているのが実情である。
1996年にウクライナ産で旧ソ連で展開されていた10弾頭ミサイルの技術、
部品を購入する予定があったという疑惑も記憶に新しい。1994年10月に
は「ミサイル拡散防止に関する共同声明」を米中で発表し、中国は「ミサイル
関連技術輸出規制(MTCR)」に違反する輸出を停止することを約束した。ただ
し、中国は過去に輸出を行ったことは否定している。軍事産業の民需転換と戦
略・政策・予算の軍事情報交換に関しても合意がなされた。同時に、アメリカ
は核爆弾を爆発させずにすむコンピューター・シミュレーション・システムの
導入を薦めている。中国がこれらの合意を堅持する意志があるかどうかは不明
である。実際、中国は1995年の核拡散防止条約(NPT)の無期限延長を支持し
たが、核実験防止条約の無期限延長の決定後、すぐに中国は1995年5月に
核実験を行い、同年8月にも行った。これらは1996年の包括的核実験禁止
条約(CTBT)調印までの、いわば「駆け込み実験」であるが、非核保有国など
から激しい批判を受けた。